宗教に帰着
清寿の理想は、現実の政治経済の世界での挫折を境に、開拓という分野に新たな実験を求めた。
投獄以後、彼は内省によって神の声に耳を傾ける姿勢をとり、職業を神聖視する「職業宗」の完成にいそしむようになる。
前述の「東北の人」という本の序には、清寿が唱えた祈祷文が掲げられている。
「宇宙の本體。萬物の本源に在(おはしま)す全知全能にして観自在なる天之御中主大神(あめのみなかぬしのみこと)の御前に……」
天之御中主大神とは北斗七星の神格で、相馬藩の信仰する妙見神社の主神である。清寿が幼い頃から親しんだ小高神社の、みじかな神である。彼の宗教観は、キリスト教におけるプロテスタンテイズムにも共通する。
きわめて資本主義的な倫理観と言えるだろう。
二宮尊徳もまた、人生の最後には報徳教という観念的な哲学体系の構築にいそしむのだが、清寿の場合には、やはりビジネスあっての宗教であり、かなり実用的なものだ。
もっとも、清寿の東北論が、小天地相馬の救済という原点にあったから、自利利他同一の職業宗教になってゆくのは当然の帰結で、二宮の純農主義は農本的日本から資本主義近代日本への転換期には、彼の脳裏で亡ぶしかなかった。
清寿が昭和七年二月に没した時、脳裡にあったのは次の二つの場面ではなかったかと想像できる。
一つは、若き日の同志がロンドンの絹織物取引所で活躍している場面。また理想を実現して最も華やかに自分の夢を自在に展開している時代の最良の場面。それは国会議事堂であったか執筆する原稿の世界であったか、たぶん開拓地「夜の森」駅の引き込み線か桜並木であったろうと想像するのだ。
あるいはそれは天上の光景である。東北の信仰者の詩を借りてそれを描けば、やはり小天地の岩手の花巻に生まれた宮沢賢治の「業の花びら」が最もふさわしいように思われる。
ああたれか来てわたくしに言へ
「億の巨匠が並んでうまれ
しかも互に相犯さない
明るい世界はかならず来る」と
半谷清寿が、明治39年に発表した「将来の東北」に託した夢は、このようなものであったに違いない。