半谷清寿の氏神扁額の揮毫

 創業者半谷清寿が創業し、長男清輔が工場敷地内に、氏神として父清壽が考案した「職業神」信仰を、従業員と家族にも勧めた。清壽が後半生を次男の六郎を連れて夜の森開発にかけて移住したが、長男清輔の家系では、小高駅前の土地で小高の主産業を守って隆盛した。清寿が残した扁額「霊産と職業」の揮毫は氏神の神体として崇拝された。三代目の時代に終戦となったが、嫁の昌が招致したバプテスト信仰の小高キリスト教会堂(チャペル)だけが、広大な敷地に残っている。
 「霊産と職業」の文字は、彼が終生のライフワークにした「職業宗」という個人的な独自の信仰を要約したことば。
 次の祈祷文は、次男六郎がまとめた小伝の年表の最後に掲げられている。

一九三二 昭和七
 清寿が生涯をかけての宿願であった宗教観の確立と言う事業についてである。本稿にはその多くを語る事を控え、清寿に宗教的信念の結集でもあり。晩年、毎朝、彼の信仰の対象であった宇宙創造主に捧げた感謝の祈りの言葉を次に記して本稿を一先ず閉じることにする。清寿は昭和七年二月十六日、七十五歳を一期として他界した。
 彼の綜合的、体験と思弁、そして実践の数々、その業績の大きかった足あとを顧み頭の下がる思いがする次第である。

清寿の祈祷文

宇宙の本体万物の本源におはします、全知全能にして観自在なる天之御中主大神の御前に祓を尽して敬ひて申上げ奉る。何の幸いか我等は、
大神の分霊を賜って光栄無上なる此の人類に生を享け、宇宙間の万有を化育し、応用する権能を賦与せられし事を思いますれば、御恩徳の高大無辺なる唯ただ感激、謝恩の赤心を表すのみに御座りまする。此の上は大神の御意思に則り、大神の御命令に遵ひ、此の世を以て人類の最大光栄幸福なる所となすべく至善の努力を致すの外謝恩の実を現はす道が御座りませぬ。されば生きては大神の御旨に叶うべき行いを積み、死しては大神の御許に帰って嘉し撫でさせ給う御手の蔭に安らけく眠り、覚めては再び使命を授けられ、此の世に戻されん事を只管に祈り奉りまする。我等は万有に対しては大神の定め給ひし法則を探求し、之を化育応用してその存在の意義を全うせしめ、又人類相互の間に於ては、相親しみ、相助けて、共同生存を円満に成就すべきが我等の本分たるに相違御座りませねば、人たるものは人類の一個としても、家族の一員としても、社会の一分子としても、国家の一要素としても是非、共同共存の義務を尽くさねばならぬものと心得まする。
而も己れの居る所、己れの適する所に従い、それぞれの義務を分掌致すのが、之ぞ是れ、各自の職業に御座りますれば、職業は即ち大神の御使命であって、我等が暫しも離るべからざる人道と存じまする。
人類にして始めて職業あり、人類以外には絶えて職業なく、職業は神聖にして人道たり、職業に依って立たしめらるるが、人類に限っての光栄と幸福に御座ります故、若し職業を行はぬ者ある時は、それこそ、人にして人にあらざるものと申すの外御座りますまい。
若し夫れ一たびこの職業に対する観念を誤り、之を己れを計るの具に供し、生存競争の手段と心得居りまするならば、之の行はるる所排ゼイ行はれ、之の行はるる所キツ詐行はれ、之の行はるる所略奪行はれ、之の行はるる所あらゆる不正不善が行はれ、以て大神の御意思に逆らい、御命令に背くの結果は、天には罪を作り、地には災を起し、人には害を加え、己れ自らも亦不幸不利に陥り、遂にはこの世ば八大地獄と化し、この世を野獣の争闘場と変ぜしむるに至りまする。
此の如きは皆是れ、職業の本義を理解せざるの過ちに相違御座りますまい。
わたしは幸いにしt此の大きなる誤謬を悟ることを得、職業は大神の御命令で、日々その職分に尽瘁致して居りまする。
若し私の信仰にして、大神の道と甚だしく違う所なかりせば、世の多くの人々をして此の信仰を同じうせしむべく導かせ給い、若し又私の信仰に謝りあれば、世の多くの人々をして之れを正しきに改めしめて、私をして之と同じくその道に進めしめ給え。
宇宙の本体、万物の本源に在す全知全能にして観自在なる
天之御中主大神の御前に誠を尽して敬いを極めて祈り上げ奉る。
  あな有難や 尊しや  よろづの物を産霊給いし 大神

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