昭和19年5月27日 毎日新聞 福島版
言葉が違っても“生意気
だ“などと言はないやう
原町の疎開物懇談会でお願ひ
原町では廿三日疎開物五十八名を役場に集めこれが指導懇談会を開いた、先つ警察側から華美な服装をやめ生活に困らなくとも働ける人は増産に励むこと、闇買をせぬこと、国民学校からは勤労をも励むやう児童をしつけられたいこと、町当局からは貯蓄に協力されたいこと等の希望があり、疎開者側からは自分等の子等が言葉が違っても生意気だなどとはいはぬやう一般学童に注意して欲しいなどの希望があつたほかは総て隣組の親切に感謝してゐるとの意見の開陳があり和やかに“仲よくやりませう”と申合せた
疎開は親しく謙虚に
受入は温く労る心で
明るく築け 防空態勢
地方の疎開による転入者は中村署管内百五世帯二百四十五名、原町署管内四十二世帯百廿六名で何れも父、夫が会社員や産業戦士の妻子である、このうち中村町は三十二世帯九十二名、原町は三十一世帯百十三名であり、国民学校の児童も九十余名にのぼり、学校当局では直ちに入学を許可、全校児童に
疎開は戦禍を未然に防ぎ戦力を増強する目的であるから仲良くしなければ
と言ひわたしてゐるので疎開の学童との間にいがみ合ったりする様は見うけられない
更に中村、原町の両翼賛支部でも各隣組を通じ疎開家庭には凡ゆる便宜と温情をかけて居り、又疎開者自身も大部分が縁故疎開者だけに昔の顔なじみが多くその点両者側の感情問題などは殆ど見られない
昭和19年8月5日 毎日 福島版
疎開児童も兎飼ひ
南会津郡檜沢国民学校では北方の空の護りに寧日ない勇士の防寒服は僕らの手でと今春来軍兎三〇羽を飼育、山羊三頭、鶏三〇三羽も飼ひ最初怖がって抱くことも出来なかった疎開児童廿名も家畜と仲好しになつて山に鍛へてゐる、明年秋までに千羽供出とがんばってゐる