マリアナからの来襲者つづき

中村町の南、鹿島町の中村屋旅館にいた疎開児童、神尾千鶴子にあてた母千代子は「このあいだの大雨はたいへんでしたね。酒井先生がおみまひになったでせう、昭和館の人達は舟でにげたさうで、ほんとうにおきのどくだと思ひます。土地の方々は、なんとご親切なことでせう。大雨のあとは病気がはやりますから食げ物にきをつけて風邪をひかないやうにして下さい」と一〇月一二日付の手紙で書き送った。、(豊島(2)四七頁)
同じく、父庄治は一〇月一八日付の手紙で「先日は大雨がつづいて畳の上まで水が来たよし、始め鹿島から電報が来たと学校から知らされた時はしんぱいしましたが、だんだん様子が分かってくると、「児童達は皆無事と分かり安神してゐます」と伝えた。(同前四八頁)
昭和館は鹿島町の疎開学寮である。真板と同じように神尾庄治も「そのうち お母さまかお父さんが会ひに行きたいです、。お母さまが行けなかったら、お父さんが行きます」と面会に行くことをつけくわえて手紙に記した。
以上、青木哲夫による。

この昭和19年台風20号では福島県下で14名の死者行方不明者が出ている。

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