神尾千鶴子の手紙
真板久子と同じ長崎第五校の三年生だった神尾千鶴子は中村町の南、相馬郡鹿島町(現南相馬市)に疎開した。母親の千代子は八月三〇日付けの手紙で「千鶴子さん、いまお手紙が家へつきました 元気なお手紙であんしんしました」「ごはんもおなかいっぱいでお母さまも安心しました」と返信した。(鹿島町到着は二六日)
なお同時に「おにもつとどきましたか、ゴザはいゝけれど長いヒモの方は大事にしまっておくのですよ」「先生や寮母先生のおっしゃることをよく聞いていゝ子になって下さいね」などと注意も忘れない。(豊島区2 三六頁)
学童集団疎開 到着から冬物送付までp17 青木哲夫 生活と文化23 2013.3.30
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