柳屋柳屋旅館の庭で渋谷隊長以下の国華隊の記念写真

「これがこの人の最後の写真になる、ということが分かっている。気の毒で、気の毒で、ああいう仕事はいやなものでした」
特に忘れられないのは渋谷大尉の時でした。
渋谷大尉の奥さんが旅館まで面会に来られましてね。小さな女の子と、奥さんと渋谷大尉が並んで、庭で撮ったんですが、奥さんのお腹が大きくて二人目も赤ちゃんがもうすぐ生まれる…。
これが最後の別れになるんだな、この写真が最後なんだな、と思ったらたまらなかった。ああいう写真は二度と撮りたくない。あの写真だけは見たくない。見たらおみだしてしまう!」
神田夫人は話の最後の語気を強くして、そして沈黙した。
渋谷大尉の話は私も知っていた。当時の一般町民のみならず。全国の新聞読者が知っていたはずである。
昭和二十年六月の沖縄特攻を報ずる記事の中で、渋や大尉の記事はとりわけ注目される。私はこの記事を県立図書館で読んだ。
八月初旬の蒸し暑い小雨のぱらつく午後であった。ぼろぼろの新聞綴りの中からその記事を見つけて、読み耽っていた。
「昭和二十年八月十一日記事
略 ※「昭和史への旅」p66に記事本文。
※参照「遥かなり雲雀ケ原・原町陸軍飛行場ものがたり」p154に「第64振武国華隊」「父恋しと思はば空を視よ・渋谷隊長の遺言」
この記事は、天皇に献ずる特攻美談の一つとして引用されたものだ。
しかし、数日後に、それまで連日特攻隊関係記事を満載しても国民をあおっていた新聞は、掌を返したように戦争犯罪について論ずるようになる。

2017.6 追記
この写真について、甥の梶原氏から、貴重な情報をいただいた。
「二上様
初めて見る写真でした。ありがとうございます。
右端の方にいる丸メガネが祖父、その隣が母だと思います。
このほかに、りょかんの室内で撮った写真もあったように記憶しています。
今後とも宜しくお願いします。
梶原」

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