4 ボンネットひたちはいわき駅以北を走らなかった

県の冷淡さということも指摘される。福島県浜通りを縦断する常磐線に対する関心のなさについては、言葉を失うものがある。
プルサーマル計画と原発増発という巨大なリスクと引き換えに提供されたJビリッジを貰いはしたものの、これにアクセスする常磐線の不便さに対して県がものを言ったという記事やニュースはついぞ見掛けたことがない。旧態依然の行動六号線からのアクセス道路がないと、泣き言ばかりを本誌の地元自治体の町長インタビューで聴くばかりである。
8月23日には、いわき駅と原ノ町駅という二ヶ所で記念行事が行われはした。しかし、鳴り物入りで企画された常磐線名物の特急ひたちが、デビューした昭和47年10月から25年間活躍してきた往年のボンネット型485系の懐かしい姿で再び登場したものの、実は、これ、いわき駅止まり。驚くべきことだが、かんじんの福島県内の浜通りを走り抜けることはなかった。
特急ひたちを走らせる人びとは、旧国鉄時代の水戸鉄道管理局というお役所感覚から一歩も出ないままに、今回の百周年記念行事を決めたものらしい。福島県相馬市、原町市、および相馬双葉ニ郡の住民の常磐線への愛憎は、結局、水戸という鉄道の中央と、フクシマという県政中央に対する不信感と絶望を誘うものだ。
「列車に乗ろう・・・常磐線」とJRは叫ぶ。しかし、乗るべき特急を相馬、原町という再遠の利用客の足もとにまで走らせていないという事実さえ、JR主脳(ここでは水戸)は忘却しているし、相馬双葉二郡が福島県内に存在していることさえ、県北にあって東北新幹線を利用する県庁マンは全く知らないようなのだ。
「原発用地として他地区との交通アクセスをわざと不便にしておくのだ」と、うがった意見を公言する環境保護派すら存在する。
ツギの当たったようなボロボロの国道六号線にしがみついて、道の駅にすがりつかざるを得ない常磐線沿線の住民を生んで来たのは、実はJRと福島県なのであろう。

常磐線100年の忘恩 1998年政経東北

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