● 鉄道興隆時代
第一次大戦は、大正7年11月ドイツの無条件降伏により終結。懸念された経済反動もなく旅客需要は依然旺盛。
大正8年10月1日、東京以北の時刻改正を行う。このとき上野青森間に東北本線・常磐線、奥羽本線経由各一往復増発して合計10往復となるが、運転痔分は全列車とも約三十分延長する。
大正9年5月15日、鉄道院を廃止して鉄道省が設置された。
〇大正14年7月1日、客車の自動連結器取付け工事を実施、同日完了。
7月16日、機関車の自動連結器取替工事を施工、同日完了した。従来は「ねじ及びリンク連結器が使用され、列車の間に入った連結手が、片側に停車している車輌と前方から向かって来る車両が間近かに迫った時、連結リンクをひっかける危険な作業で死傷事故が多かった。
自動連結器の一斉取替工事施工は世界の鉄道界に誇れる歴史的な事業であった。
10月28日、日暮里平間が複線化。
15年3月1日、川俣線松川・岩代川俣線開通。
同年8月15日全国時刻大改正を行う。これは関東大震災復旧工事および青函航路の船車連絡設備の完成、他方、新線開通による輸送系統に変化を生じたほか、第一次大戦後の低迷する経済情勢に対応したもの。
このとき上野青森間常磐線経由急行列車の下りの仙台、上りの上野着時刻が早朝のため時刻調整の結果、運転時分は東北本線経由よりも遅くなり、17時間55分を要した。
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