沖縄戦で主として福島県人が参加した部隊は、第六十二師団独歩第十三大隊と同第三十二大隊(第九中隊は若松編成、速射砲中隊主力は若松編成)などだった。これらの舞台は、いずれもほんの数人が生き残っただけで玉砕した。
 地上戦はこうしてほぼ終結した。しかし空の戦いはなお続いた。酒井嘉一郎飛曹長(いわき市下船尾)早川英夫(原町市北原)まど多くの人々が空戦死している。酒井飛曹長は六月二十一沖縄に飛び立って戦死、二十歳だった。また早川飛曹長は六月二十五日沖縄上空の偵察で戦死、十九歳だった。

航空部隊の一員たるの誇りと重責を感じつつ、身は決して故山に埋まらずとも、決して悔ゆることはありません」と早川飛曹長は最後の手紙にしたためている。

昭和56年4月23日 福島民友「ふくしま戦争と人間 第五部」玉砕の島336

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