naka01中野磐雄慰霊祭 はらまち「海友会」会員

昭和55年10月25日の午前10時すぎ、南相馬市原町区の夜の森公園という小高い丘のうえにある市民公園に建立された、カミカゼ中野磐雄海軍少尉の慰霊 記念ブロンズの前に集まった200人の関係者。車軸を流すがごとき激しい驟雨が轟然と降ってきた。この天象は、いったい何を意味するものなのとかと、誰一 人思わぬものはなかった。降りしきる雨の中で大島基重は、準備していた式辞を読みあげた。しかし、集まった参加者の耳には、激しい雨音で、それが掻き消さ れてしまったため、正午から場を移して森の湯旅館でのなおらいの席で、大島は、あらためてこの式辞を読んだ。
あれから30年たっていた。
大島は、90歳になった。同級生の中野磐雄も、生きておれば同じ年齢になる。つまり、中野は、まだこの現在も生きていても良かった年齢なのだ。
永遠の十九歳の少年を慕って、記念し、忘れず、追悼するひとびと。
平成26年10月25日。おだやかな天気の、好日、集まったのは十分の一の二十人ほど。慰霊祭の会長も副会長も死去した。同級生のうちの、最初の二人、大島と斉藤が、けっきょく最後までこの慰霊祭の司会と事務局を担当した。
ことし、中野磐雄少尉の慰霊祭は最後とされた。
戦争の記憶は、遠くなった。平和で豊かな日本。
故郷原町に生まれたひとりの少年の記憶を、ここに書きとどめたい。

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