その確信犯の証拠を、毎朝歌わされたのだから、たまらない。証拠隠滅してアメリカ占領軍政権への忖度の力の限りに、はやりの「正義」「文化」「平和」というキーワードをちりばめた。作曲の門馬直衛は、油屋の一族で原町大正のころの医師。上京して作曲家になっていたので、依頼された。
原町小学校校歌
望みは広し国見山
正義の丘を越えゆかん
操は清し新田川
文化の華の香をあげん
雲雀が原の草若葉
平和の虹をいざ懸けん

 大木惇夫はこうして軍歌の歌仙から、一転して民主的校歌の地方販売で、生活の糊口をしのいだ。
終戦の前後に、浪江町の高瀬渓谷の大堀で、疎開生活をしながら。
しかし、その一方では、心の底で、あの戦争の渦中の華やかさと、たまらない高揚感が忘れられなかったらしく、カミカゼに捧げる勇壮な軍歌をつくらざるをえなかった。
カミカゼ第一号となった中野磐雄は原町小学校を卒業し、郊外の原町飛行場の銀翼にあこがれつつ、ひそかに海軍予科練をめざしていた。
「俺は必ず、世界中のみんながびっくりするようなことをやってやる」
と、同級生の妹に、こころの底の心情を語っている。

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