家庭からの冬物の送付
当初の 荷物を準備し、子供を送り出し、安着の知らせを聞いて、一息する間もなく、次の荷物を慌ただしくそろえなければならない。福島県鹿島町にいた神尾千鶴子に、母が布団だけ送って、洋服などほかの物は後から送ると手紙で書いたのは無理もなかった。(二六頁)
福島家中村町の真板久子は一〇月一日消印の父あての手紙で「荷物はえきにきてゐますが、まだこっちには来てゐません。だけどもうすぐ来ると思ひます」と伝えた。(真板編「疎開の記録」一九頁)
駅から宿舎までの運搬も一苦労だった。荷物は間もなく着いたようで三日消印も久子の手紙には「みんな荷物はまだかと、時々えきに行ってはまっていました。今日きたのでみんな喜びました」と書いている。続けて「みんなあのかんづめは、たいていみかんのかんづめと、白いかんづめです。さけかんの人も少しゐます。私はぎゅうにくの方がすきです。ぎゅうにくのかんは、ぶつかったと見えまして、へこんでゐました」(同前二〇頁)とある。家ごとにかんづめを送ったのだろうか。
p38青木論文
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