ビリケン印の日本標準珪砂の硝子原料の基準となったおだか銀砂工場の登録表彰

戦争景気で活況を呈す

原町区石神から小高区金房までの地区は豊富な良質な珪砂を生産し、これを採掘して産業化した半谷清寿は長男清輔に社長をやらせた。職工150人が働く小高で最大の主産業だった。ビリケン・マークと呼ばれる登録商標は、赤字で閉鎖の危機もあったが、需要は軍の要請で回復し、日本で最高級の硝子原料の基準になった。精製の過程で公害の問題が社会化したのは、人家のなかった駅前が住宅化して以後のことで、宅地全体と工場敷地とがほぼ同じ面積だったが、昭和51に閉鎖した。平成28年12月、ついこないだ登記上も完全に取引業者に譲渡して、更地になった現場を立ち合い確認。こんご時間ができたので、先祖の業績についても調べたいと孝寿さん談。

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