将来の東北

東北大学で長く教授として地道な研究をしてきた高橋富雄氏は、数々の埋もれた歴史を掘り起こし、良質の素材を我々に提供してくれたが、その中の一つに「将来の東北」という本がある。
これは、明治三十九年に出版された明治の人の東北論である。これを高橋富雄氏が仙台の「東北経済開発センターという、東北開発の理論的研究を推進している機関」が発行している「東北開発研究」という機関誌に、古い時代から現代まで展望するという大役を負い、「東北開発の歴史と問題」という題名で執筆している途中で、図書館の埃の中から発見した。
「東北の大地からくみ上げられた開発論が必要である」というニーズがまずあった。
昭和四十一年の暮れ近くに、全く偶然に<汗とあぶらでつくりあげられた「土の理論」」「重厚な土からの発言」として「将来の東北」があった。>と高橋氏は書いている。
<東北は、大変な規模の土地がらである。その開発は、優に旧先進日本に匹敵するもう一つの日本を開発するほどの意味を持ったものである。それだけの仕事をはたすためには、東北の現実、その後進性のよってきたるゆえんのものを、全体的に正しくとらえ、とくにその根本問題になっている科学的理論を確立して、これを開発理論の根底にすえねばならない>
<それに正しくつらなる理論と施策でない限り、開発にならない開発をむだに積み重ねるにとどまることは、もうながい歴史が証明しているところだったのです>
それにしても、明治三十九年に発行された「古典」が、今なお現代人に訴え続けるというのは、どういうことなのだろうか。それは、とりもなおさず、それ以前の東北開発が、ずっと空白であったことを如実に物語る。
高橋氏は「将来の東北」の解説で、次のように断ずる。
<わたくしは、この本を「東北開発の古典本」だと思い、この人とこの本とを紹介することによって、古いことが、ちっとも古くなっていないところに、東北開発の停滞がある。>

注。高橋富雄氏は、これによって福島県博物館の館長に招請された。げんざいの赤坂憲雄館長の招請はその二番煎じだ。ただし赤坂氏は民俗学者である。

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