神はいるのか デストピア・フクシマ五年一昔
フクシマ・ノート#9            二上英朗

●デストピア・フクシマという共有感情
「ゴーストタウンだね」と福島県の311地震と原発事故の複合災害の被災地に対する印象を素直に語って、そのせいで更迭された大臣がいた。浜通り被災地の無人の町を見たまま気軽にぶら下がりの同伴記者たちにそう漏らした「不適切」なコメントの表現に対して一斉に地元から抗議の声が上がった。住民がみずからはユートピアと信じていた地域が、ゴーストタウンにされてしまったことに対する憤りを共有するという次元での「デストピア」でもいうべき感情が、「ともにある地獄の幸福」だな、と思いつつ報道を見た記憶がある。
関東大震災のときにも良識ある人々で、天譴と評した人があったと民俗学者柳田國夫は指摘している。石原慎太郎氏が津波を「日本人の我欲を洗い流す天罰」と発言したのは5年前の311直後の3月15日。(注1)
あの時から五年の歳月がたった。十年一昔という格言が、最近は「五年一昔」が相場だそうだ。マスコミは集中豪雨的に、昨年の戦後70年特集の特攻隊オンパレードのテレビ・キー局の特番につづき、ストックした記録映像で今年は311特集を一斉に垂れ流し、それが終われば、次の10年後まで「東日本2,011複合災害」は忘却したかのごとき完了形になろうこともたやすく見当がつく。
311の直後、マヒした都市機能の下で二週間すぎた4月始めに、福島市内に「みどり書房」という郊外型大規模書店がオープンした。まだ余震がつづき、人心が落ち着いた状況ではなかった。新聞社などの写真増刊のグラフ刊行物のほかには、まとまった情報を編集できた雑誌は出ておらず、最初に津波をレポートし論評した定期刊行物は「アエラ」だった。その震災写真特集号。震災と津波の跡を三陸海岸にいちはやく乗り込み、カメラマン藤原新也が撮影した写真に付された文章は、衝撃を受けた彼の鼓動まで感じさせる印象の韻律がそのまま反映されて読者に伝わる名文だと感じた。
神の存在を疑う、と彼は結ぶ。その感慨の深さは伝わってくるが、しかし、彼が考える神とはどんな神なのか。
「いわしの頭も信心から」という日本的な神、人間がつくりあげた「はりぼて」と彼が断ずる神なのか。
彼の中で「神も仏もあるものか」という呟きが、聞こえてくるような光景。
藤原は「結局、神とは人間が作りあげた虚構」という結論に至ります。
たしかに日本人のいう神とは、それなのだろう。海辺の瓦礫の山は、彼には無神論の世界として拡がっていた、ということだろうか。

●地球は青かった、しかし神はいなかった…・
人類初の有人衛星飛行を成し遂げたユーリ・ガガーリンの「地球は青かった。私は宇宙に神はいるのかと見わたしてみたが、神はいなかった」との有名なコメントが世界に報道された。西側のキリスト教国の国民は、一様に驚愕した。
日本では、後半の言葉は報道されなかった。そもそもキリスト教にも神の存在をめぐる議論にも興味なく、なぜ科学の先端の宇宙飛行士がこんな言葉を吐いたのか。共産主義と資本主義のはざまで、キリスト教信仰こそが問題であった国際事情を理解していなかったからだろう。むろん、ケネデイ大統領が1960年代に人類を月に送り出す、と宣言するにいたったのは、科学技術の進歩という栄誉を担ったのが唯物論の国の青年であったことへの挑戦だった。アイリッシュのケネデイ一族はカトリックだ。
311から二か月後の5月11日の共同通信の配信でジャーナリスト作家立花隆が特別随想を寄稿していた。
ローマ法王と三陸の日本人の少女との対話が紹介されていた。
「田中角栄研究」で、一国の宰相をロッキード社からの収賄で次期戦闘機選定の情実告発記事によって引責辞任に追い込み、ジャーナリストとして成功した同氏は、不動の地位を築き自前でヘリコプターをチャーターし、東北の津波被災地を空から鳥瞰し、この大惨事を論ずるに神の視点の必要をいい、瓦礫の海岸に立ち、虫の目からの視点の必要を説き、次のように対話を引用する。
「なぜ神様はそれをお許しになるのですか?」と知己を亡くした三陸少女は問う。
罪もないこれほど多くの二万もの人間が一瞬にしてなぜこんな不条理で不幸な運命を被らねばならぬのかと。
法王は「私にはわかりません。私も、なぜなのですか? と神様に問い続けています。」と答え、「でも神様はいつも私たちのそばにいます」と付け加えた。
立花氏はアウシュビッツなど、多くの人類史上の出来事を例に挙げて、
「こういう場合、神が返すのはいつも沈黙という答えなのだ」しかし「問い続けることが大切なのだ」とする。
法王ベネデイクト16世も、立花氏も、神が、今回も沈黙している、というのは、まるで遠藤周作の小説「沈黙」と同じではありませんか。
彼らは「なぜ?」と問うが、神は答えない、というのです。
驚きです。
すでに神はイエスをとおして、シロアムの塔の倒壊事故で犠牲となった18人について「彼らに罪はない」と答えられている。つまり、とうじ有名だった土木事故が、神の采配とは無関係なのだとの謂いである。この部分は、古来おおくの不慮の事故や不条理に会って苦しむ人間を救済したといわれる有名な個所だ。(注2)
またノアの洪水の物語が、ロトのソドムからの脱出の物語が、モーセの流浪の物語が、聖書には備えられている。義人の不条理の受難というのはヘブライ人最古の主題だ。その結論が「神の存在」だった。デカルトの「不合理ゆえに我信ず」の脈々たる西洋思想の飛躍である。
地震と津波と原発事故に困惑しながら、新約聖書マタイ福音書の24章がずっと頭に浮かんでいた。
世の終りとは、このようなものなのか、と。(注2)

●調和型リアリスト日本人の受容した311
天罰、と言った政治家がいる。天災ではあるが、天罰なら、罰を受けるのは東京の電力消費者やテレビ局ではないのか。それは「警告」というべきだった語ではなかったか。
「神も仏もない」という神は、人間を守るためにだけ存在するものなのか。
限られた知識と言葉で、大それた口を開くことなかれ。沈黙するのは、われら自身であろう。(ヨブに答えた創造の神の返答の壮大さを思い出します)
福島県浜通りは硯のように平板な田園と江戸時代まで干潟と湿地の入り組んだ地域だった。
干潟であった土地を干拓して米作耕地や宅地にしたエリアが再び海面になった。谷を埋めて造成した宅地が山崩れした。海岸に造成した土地が液状化で陥没した。もともとの自然がもとにもどったことに人間の都合で、人間を中心にした価値観で抗議するのか。
自然現象にあってさえ、神の主権の下で「許可されて」地上に間借りした仮住まいの身の上で、生かされ、奪われるという事実に対して、われらは何を抗議できるのか。
人間が有限である事実を痛いほど示されてなお、神は人間を守るために存在するのではないのか、と問う不遜。
自存・・・ありてある神の超越を、そのままに受け入れざるをえない人間がわきまえ、ただ畏れ、ただ挑むというのが、親を前にした子のありかたではないのか、などと思うばかりだ。

● 神の領域を超えたと実感したキュリー夫人
私の住む福島市の飯坂温泉の駅前に、卵の形の記念碑が建っていて「ラジウム発見記念」という銘文が刻んである。キュリー夫妻によるラジウム発見後、東京帝国大学医学生、真鍋嘉一郎氏により、日本で初めて「ラジウム」の存在を飯坂の温泉に確認し、その結果を学会に発表し、センセーションを巻き起こした。
放射性物質に魅了されたエジソンの助手も、X線透視機械を商品化して世界中に売りまくって癌で死んだ。多くの研究家、多くの詐欺師、多くの山師が、知識を持たずに放射性物質にかかわって癌で死んだ。明治の日本でも、見世物小屋でX線はデビューした。
明治37年の日露戦争の頃に、発明されたばかりの活動写真とX線は、飯坂温泉でも福島市内の芝居小屋でも見世物興行されている事実をつきとめて讃嘆したものだ。現在ラジウムはラジウムエマナチオン療法として放射線のもつ組織破壊性を応用し、癌腫・肉腫等の悪性腫瘍の治療等に広く医療用として利用されている。
レントゲン博士がX線を発見した1896年以降、人類は被曝の世紀に入ったのだ。放射能という言葉は、キュリー夫人が造語した。ラジウムの発見と研究で二度のノーベル賞を受賞した彼女は、生涯ラジウムの青白い神秘的な光に魅惑されて研究に挺身し続け、熱中の余りにウランを素手で取り扱い再生不良性白血病にかかって死んだ。「私は神の領域を侵した罰を受けたのかもしれない」と彼女は述懐した。これはプロメテウスの自覚である。
原爆と水爆の開発に狂奔した大国は、核実験を繰り返し、フォールアウトと呼ばれる放射能物質の地球的撒き散らしを繰り返して、ようやく放射能物質の猛毒性を認識しながらも、宇宙の微細な世界に隠されたエネルギーに魅了され、プルトニウムを死者の国からの富として蓄え、最も凶暴な武器として終末の引き金という神の権限さえ入手したものと信じた。
原子力発電は、火力発電に接木しただけの未熟な錬金術である。不完全な巨大な湯沸かし器にすぎない。原理は単純だが、配管など冶金技術がついていかないのだ。放射能管理という責務は、見世物小屋の興行レベルからあまり成熟しなかった。しかし人間はプロメテウスから与えられた火を手放すことはないであろう。まだ謙虚な科学者にとってだけの研究室の段階なのだ。

● 津波と殉死の連想から
大津波到来を予期しながらも南三陸町の防災庁舎から最期まで津波警報をアナウンスし続け殉職した遠藤未希さん(24)の記憶は五年後の今なお強烈だ。彼女の壮烈な敢闘は南相馬市の、一人の北方領土の少女を激しく想起させた。
「樺太一九四五・氷雪の門」というお蔵入りの映画が存在する。
昭和49年7月に、「樺太一九四五・氷雪の門」のロケが内郷内町の炭鉱住宅跡地で行われ旧炭坑に聳える煙突を背景に、終戦直前の樺太・真岡市の繁華街を仮設したオープンセットによる撮影。田村高広、木内みどり等が出演、地元の主婦たちもエキストラとして防空頭巾にモンペ姿で戦時下を再現する場面に共演した。この映画は、反ソ的とされてソ連から抗議されて東宝がひっこめた。しかし公開はされている。(注3)
この9人の交換手のなかに、福島県原町市馬場川原田192-6出身の志賀春代さん(当時21才)がいた。昭和20年8月15日の終戦とともに、男子職員と交代して内地に引き上げるように説得されたが、九人の交換手たちは重要通信の機能停止を心配して全員残留を志願し、決死隊として残留した。20日午前7時に上陸したソ連軍は艦砲射撃を加えながら同郵便局内に侵入。同局交換台は「これが最後です。みなさんさようなら、さようなら」と隣接の泊居局に連絡。受話器を耳にあて、キーを握ったまま準備していた青酸カリで服毒自決した。昭和48年3月30日の閣議で叙勲が決定。平成7年に終戦50年を記念し福島出身の製作者守田康司さんらの呼び掛けで全国で自主上映。福島テルサでも9月30日に上映。
この樺太女子電信隊員たちの殉死の記憶は、戦後しばらく日本人の共有のトラウマの一つだった。昭和29年年に東宝映画「ゴジラ」が封切された時に、米ソの核開発競争のしのぎ合いの谷間で、強烈に「終戦後の凌辱」を思い出させた。
ゴジラという想定外の超自然生物の出現に蹂躙される被害を実況しながら職場を離れず「さようなら。これが最後です」というアナウンサーの決死の台詞は、じつは「樺太女子電信隊員」の最期のなぞりでもあった。沖縄の「ひめゆり部隊」と呼ばれる女子学徒の悲劇の強烈な記憶とともに空想科学小説の特撮映画の主要な場面に定着したのだ。
遠藤未希さんもまた歴史を超えて日本人好みの英雄として311とともに記憶され続けることだろう。

●われらがなおほろびざるは、ただ主の憐れみによる
自民党政権が戦後一貫して原発を推進した根底には、潜在的な核兵器保有へのオプションが誘惑として継続し、民主党になっても変わらなかった。
医療の世界で、こんな便利なツールを手放せるわけがない。魔法が実現されたのだ。エネルギー産業も同様だ。
原子力発電は、火力発電に接木しただけの未熟な錬金術である。放射能管理という責務は、見世物小屋の興行レベルからあまり成熟しなかった。人間はプロメテウスから与えられた火を手放すことはないであろう。
福島県は覚せい剤中毒患者のように、補助金行政に溺れた結果、ふるさとをみずから汚し、故郷を追われた。国と東電と感情的に呪う一方で、だれも自らの罪を自覚しない。ノーといえば拒絶できたはずだった。子孫の未来を売って、自分の世代の金を手にした。いまさら何を言っているのか。
福島県人の体験している苦渋と無縁な原発再稼働。
これまで何度も原発の記事を書き続け、安全性と乖離した財政的理由だけで推進されてきたという点を指摘してきたが、この警告は世に受け入れられずに、憂愁の谷間にいたような思いだったが、いざ現実のものとなった今、エレミアの悲しみはわが悲しみとなった。
われらがなおほろびざるは、ただ主の憐れみによる   哀歌 3章
エレミアはユダヤ民族がバビロニアに捕囚される運命を神から託宣された預言者。(注6)複合災害と放射能は福島県から十数万の捕囚を他郷に連れ出して散らし、五年後の今なお十万人が他県に暮らす。
飯館にも川俣山木屋にも浪江にも、数十のエレミア、数十のヨブが生まれ、家畜を奪われ、土地から引き剥がされた。
三陸の海岸部に数千のエレミヤ、数千のヨブが生まれただろう。キリストも生まれたのだと思う。
飲み込む津波に死を覚悟して最後まで防災無線のマイクを握ったまま死んだ海辺の町役場の防災職員。避難誘導に立って波に飲まれた巡査たち。若い新聞記者。
二万余の犠牲者、行方不明者の間にキリストが懸命に往来し、神の声が響き渡った光景。神が人間に現れ、生まれるために、このような生みの苦しみが必要だったことは、人智を超えることであるが、キリストは生まれ、神は雄弁に物語った。
この二千年の人間の歴史に神は立会い、歴史のいずこかで、戦争のたびに、災難のたびにキリストは生まれ、神は咆哮した。預言者を通して。
いまや放射能という占領軍が、われらの故郷を支配した。若草が繁る風景の中で風がわたり、木々に鳥たちがさえずり、放たれた牛たちが奔走している。
このように巨大な機会に悔い改めずに、古い価値観のままであったなら、何の意味があるだろうか。
日本は復旧復興に向かう、というが、二万余のいけにえがなだめと贖罪の犠牲でなく、運の悪いカードをひいただけの役回りだったとしたら、彼らの声をも聞かないことだ。彼らは沈黙しているのだ、と法王も立花氏もいうのだろうか。
神は沈黙などしていない。鼓膜が敗れるほどの音声で臨み、強盗よりも激しく掴みかかって揺さぶり、わたしは在る、と宣言されている。その声を聞かないのであろうか。
法王は「わかりません」と答えたのは人間として正しい。悟りの鈍いペテロの後裔なら当然だ。超絶の神を、いま、すべて人間が理解できると思うことが不遜なのである。
神はそばにおられる、という。遠いバチカンからはそうみえるのだろうか。
神が沈黙していると見えるのは、人間が自由に作られているということの証だ。だからこそ自問し、自答しなければならない。これでよいのか、自分は間違っていないだろうか、と。
日本では、神はまさに真正面におられる。

注1)柳田「天罰」発言批判 柳田は、関東大震災の報を、ジュネーブからの帰国途中のロンドンで聞いた。大正十四年九月五日 啓明会琉球後援会講演の冒頭。
「大地震の当時は私はロンドンに居た。殆ど有り得べからざる母国大厄難の報に接して、動顛しない者は一人も無いといふ有様であつた。
丸二年前のたしか今日では無かつたかと思ふ。
丁抹(デンマーク)に開かれた万国議員会議に列席した数名の代議士が、林大使の宅に集まつて悲しみと憂ひの会話を交へて居る中に、或一人の年長議員は、最も沈痛なる口調を持ってこ斯ういふことを謂つた。
是は全く神の罰だ。あんまり近頃の人間が軽佻浮薄に流されて居たからだと謂つた。
私は之を聴いて、斯ういふ大きな愁傷の中ではあつたが、尚強硬なる抗議を提出せざるを得なかつたのである。
本所深川あたりの狭苦しい町裏に住んで、被服廠に遁げ込んで一命を助からうとした者の大部分は、寧ろ平生から放縦な生活を為し得なかつた人々では無いか、彼等が他の碌でも無い市民に代わつて、この残酷なる制裁を受けなければならぬ理由はどこに在るかと詰問した。
此君のしたやうな断定は、勿論一種の激語、もしくは愚痴とも名くべきものであつて、まじめに其論理の正しいか否かを討究するにも足らぬのは明かだが、往々にして此方法を以て何等かの教訓とあきらめを罹災民に与へようとするのが、ごく古代からの東洋風である為か、帰朝して後に人から聞いて見ると、東京に於てもより多くの尊敬を受けて居る老人たちの中に、やはり熱烈に右の天譴説を唱へた人があつたさうである。
誠に苦々しいことだと思ふ。」

(注2)地球は青かった、という簡単明快なフレーズで有名になったガガーリンの名文は、実は詩的な地球の観察の報告を海外マスコミが要約して創作した台詞といわれる。

(注3)マタイ福音書24章16~21節
16.そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 17.屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。 18.畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 19.その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。 20.あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。 21.その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。

(注4)シロアムの塔(ルカによる福音書13章1~5節)
ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

(注5)「氷雪の門」J・M・P作品。東映配給。原作金子俊男。「樺太一九四五年夏・樺太終戦記録」より脚色国弘威雄。監督村山三男。撮影西山東男。主演二木てるみ、岡田可愛、藤田弓子、千秋実、島田正吾、丹波哲郎。昭和二〇年八月終戦直後の樺太を舞台に、ソ連の不法進攻に若い生命を投出し、職場の真岡郵便局を守り続けた九人の交換手を通して、戦争の実態を怒りをこめて描く。はじめ東宝はソ連へ遠慮して興行を避け、東映洋画系に上映された。(昭和49・8・17)(日本映画発達史V298頁)

注6)エレミア書 南北イスラエル民族が北方アッシリアに軍事制圧され、歴代のエルサレムの財宝も王以下の支配階級もことごとく首都バビロニアに捕囚として連行されるという体験が、民族の原体験として精神的覚醒を呼び覚まし、ユダヤの歴史と価値観の結集として旧約聖書の編纂事業を成し遂げる原動力になった。エレミアはこの時代の預言者。

(初出:『ゲンロンβ #1』2016年4月15日号)

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