2011年3月29日、今中哲二らの調査チームは午前中、飯舘村92地点で放射線量を測り、午後は南部の38地点を回った。
 午後3時、今中らを乗せたワゴン車が長泥地区曲田にさしかかった。福島第一原発から約31キロ、放射線量は車内で毎時20マイクロシーベルト、道路上で24マイクロシーベルト、わきの畑地で30マイクロシーベルトを計測した。
 放射線障害防止法では、3カ月(13週)で1・3ミリシーベルト、週に40時間立ち入るとして毎時2・5マイクロシーベルトを超える場所は「放射線管理区域」に指定される。管理区域に入るには事前の教育訓練や健康診断が義務づけられている。
「信じられない」
「現実とは思えない」
 計測しながら今中らが何度もそうつぶやくのを、同行したフォトジャーナリスト豊田直巳(58)は聞いている。
 その中で村人が暮らしていた。
 長泥曲田の石材業、杉下初男(64)は3月18日、いったん千葉県成田市に避難、水が飲めるようになったとの報道を受けて、28日に自宅に戻っていた。
 長泥の線量測定地点にある掲示板に、日々の推移を書いた紙が張り出されていた。
 26日26ミリシーベルト
 27日20マイクロシーベルト
 28日25マイクロシーベルト
 当時、飯舘村は、住民約6100人のうち約4000人が村二残っていた。長泥地区にも、補償を受けるめどが立たないため動けない農家や酪農家が多くいた。杉下のように、いったん避難しながら長泥に戻った住民もおり、幼児を連れた親の姿もあった。
 杉下は28日夜、県の災害対策本部に電話をかけた。
「なぜこの状態で避難させないのか。どうしても納得できない」
 約1時間、強い口調で訴えた。
 29日、福島民友が浪江町赤宇木、飯舘村長泥などで極めて高い放射線量が計測されていることを初めて報じた。
 4日間の席さん線量が赤宇木で4813マイクロシーベルト、長泥で2950マイクロシーベルト。
 ただし、2面最下段のベタ記事だった。福島民報は4月6日になって初めて長泥の線量を報じた。
 今中らは3月29日夕、調査の概要を村長に報告し、村を離れた。翌30日、国際原子力機関(IAEA)は、飯舘村の土壌から同機関の避難基準の2倍にあたる放射性物質が検出されたと発表した。
P218 プロメテウスの罠8

今中哲二は京都大原原子炉実験所助教。公害史専門の国学院大教授菅井益郎、広島原爆の線量評価の広島大教授遠藤暁、環境ジャーナリスト小澤祥司と4人チームで3月28から飯舘村を調査。

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