3月12日午後、南相馬市小高区「浮舟文化会館」へ向かった。テレビで見ても「被害」は甚大だと覚悟していったが、やはり「現場」はこの世のものとは思えない惨状だった。被害者への支援で決め手が、「初動」と「現場」であることを痛切に感じた。特に、被災者の「悲しみ」「辛さ」を共有できるかどうかがその後の「支援」のあり方を決める。
 浮舟文化会館には、津波ですべてを失った多くの被災者が避難していた。200名分の炊き出しを準備した。「味噌汁できました。ぜひ、食べてください」と呼びかけると、目がうつろでなすすべをまった見出せない被災者がどんどん並ぶ。準備したお椀が足りない。しかたなく、紙コップでわたすしかなくなった。苦情が出るかと思ったが、被災者は「ありがとうございます」と言って、何の不満も言わずコップの味噌汁をもらってゆく。
 この経験がその後の「支援」に生きた。被災者の「悲しみ」「辛さ」を実感することが、「支援」する側の支えになる。これを「死者(被災者)に対する生きて居る(被災しない)者の責任」と表現した人がいたが、「社会的悲哀」を社会全体で受け止められるかどうか、いま問われていると思う。

根本敬(福島県農民連事務局長)
「福島は訴える」福島県九条の会・かもがわ出版。

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