舟の右側・谷口和一郎
取材後記 
 取材中、少し足を伸ばして富岡町を訪れた。この町は、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3つに分けられている。
 海沿いのJR富岡駅とその周辺は、津波に襲われた時のまま、建物も壊されずに残っている。近くには生徒が誰もいなくなった小中学校。生徒たちは今、どのように暮らしているのだろうか。足元から寂しさがせい上がってくる。
 さらに進むと、人のいない商店街。自営業の人は、新たな場所で商売を始めるのは難しいだろう。生木を裂かれるような痛みがそこにはあるはずだ。東電の補償も、いつまでも続くわけではない。
 富岡は、自然豊かな場所でもある。新緑の彩りを添えていた。しかし、その自然からは、うめき以上の、叫びのようなものが聞こえてくる気がして、いたたまれない気持ちになった。被造物の叫びの中で、人は暮らすことができないものだと知った。
 ローマ人への手紙8章19~22節には、被造物のうめきと共に、将来の「栄光の自由」が示されている。このフクシマの地も、全ての被造物も、やがて「栄光の自由」に入れられる。その希望を見つめつつ、福島のためにとりなしていきたい。

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