光速の何倍かの速いスピードのロケットに乗ると、理屈では宇宙のかなたで過去の映像が見えるとか言うが、そのようなSF的な発想を借りれば、島尾はまさに今浦島になって過去の自分をそこに見た。
 実のところ、そういうことへの不満が、島尾の内部にこみあげていたのだと思われる。
 今でも一日一日死と向かい合って生活している自分の姿が、消えないで生き続けていた。それはなぜか。言うまでもなく、忘れはせず遠ざかっていた十年間、島尾の心の奥底の意識されない部分に、完全な形のまま十年前の体験が保たれてあったのだ。体験の現場を見たという一つの刺激が、島尾の心の「頑丈な鉄の箱の中にとじこめて」おいたはずのものを、たちまちにして飛び出させてしまったということにほかならない。
 基地のあわただしい様子、「ホイッスルのひびき」や「伝令のどなる号令、兵隊のかけまわる気配」それらの物々しい残響が島尾の耳にきこえてくる。それらは、実は島尾の内部からしてくる物音なのであるけれども。
 彼は、当時の人々を思い出す。それらの人々のところへ行ってみようと、ふと考える。しかし「すぐ頭をふってその錯覚を打ち消した。」
 なぜなら彼らは「わがままな虚構」の中の人々である。ケサナもまたその中の一人であったが。
 「しかし今その人々はどこにもいない。いやケサナは私の妻になった。そしてこうして私のそばに居る。それは一つの成就のはずだ。ケサナの発病が都会の生活を不可能にし、K…島に近いA…島の町に移り住んだ。だから誰にはばかることなく、島山の景色を両手に抱きかかえても差支えないのに、もう取りかえしがつかない過失の中に居るような気がする。」
 この部分には、揺れ動く島尾の心があざやかにあらわされている。過去の状況の中へ心はひきよせられて思わずその状況の中でかつての体験を追いかけてしまう。それが再び現実によって連れ戻されて過去はつっぱねられる。しかし、過去の中の確かな存在であっケサナは現実であり、その思いが、過去と現実を力強く結び付けて交流する。自分は自信を持って、動かない自分を確かめてもよいのだ、と思う。と、思ったとたんに、たちまちまたあの「うしろめたさ」によってつきはなされてよろめく。

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