ふくしま1年の記録

 自治体(浪江町)・本紙(福島民報)記者
 3月11日の午後2時46分、東日本大震災が発生し、東京電力福島第一、第二原発が全停止した。
 福島民報浪江支局長の浅見公紀は、支局で遅い昼食をとりながら原稿を書いていた。経験したことのない揺れに、靴下のまま慌てて外に飛び出した。自力では立っていられない。支局の前に止めた車につかまって周囲を見渡すと電柱は大きく揺れ、道路向かいの店舗のショーウインドーが「バリバリ」と音を立てて割れた。
 支局がある浪江町の中心部は福島第一原発から北に約9キロ。サイレンが鳴り響き、防災無線が「大津波警報」を繰り返していた。
 この時はまだ一般加入電話が通じた。浅見がすぐに第一原発の広報に電話すると、「稼働中の全号機は自動停止。現場確認中」とのことだった。浪江町の請戸漁港周辺には高台がない。「海には行きません」という浅見に、本社のデスクも「絶対に行くな」と指示した。
 午後4時ごろ、町役場の屋上にいた浅見は真っ黒な津波が6号線国道に向かってくるのを見ていた。夢中でカメラのシャッターを切ったが、体が震えるのがわかった。
 役場2階に設けられた災害対策本部には町長の馬場有ら幹部職員や消防関係者が詰め、沿岸の請戸地地区などの被害状況把握と被災者の救助に忙殺されていた。役場は停電し、非常用の発電機の音が響く。一般加入電話、ファックス、携帯電話はほとんどつながらず、国や県とも満足に連絡が取れない。福島第一原発ぼ情報はテレビで得るだけだった。真っ黒な雲に覆われたり、横殴りの雪になったり、きれいに晴れたり、この日の双葉地方の天候は目まぐるしく変わった。夕闇が迫るころ、「津波で多くの人が行方不明になっている」との情報が伝わった。

 福島第二原発に近い福島民報富岡支局長の神野誠は四月の異動を控え、支局の不用品を処分するため楢葉町の焼却処分場にいた。携帯電話の警報音と同時に長い揺れが始まった。第二原発からわずか2キロという距離に不安を感じた。車のラジオが大津波警報を告げていた。
 一度高台に登り、町を見渡すと屋根瓦が崩れた家や陥没した道があちこちにあった。支局に立ち寄り、必要な物を取り出して地元の双葉警察署に向かったが「建物が古い。津浪に流される可能性があるから逃げろ」と言われた。町の災害対策本部が設けられた文化交流センター「学びの森」に行くと「津波があがった」という情報が入って来た。
午後3時45分、富岡漁港近く野見慣れた風景は一変していた。あったはずの漁港の建物はオレンジ色の鉄筋だけになり、沿岸部の建物も土台だけだった。腹を上にして打ち上げられた漁船、欄干だけになった橋、水没したパトカー…。橋の下の濡れ具合から津波は15メートルほどの高さがあったと推察された。
 神野はこのころ、白い煙が第二原発から立ち上ったのを見ている。情報がない中、その場に来た第二原発の職員にも「何だかわからない」と言われ、不安は膨らんだ。これは後日、非常用デイーゼル発電機の始動に伴う水蒸気と確認された。
東日本大地震 原発事故
ふくしま1年の記録P60
福島民報社

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