困難を極める、被災地での医療再生
30キロ圏「応援できぬ」

 原発に近い病院は、次第に医療活動が難しくなっていった。
 政府の避難指示は「半径20キロ圏内」だった。高野病院は福島第一原発から22キロだ。それ以上離れている施設でさえ、状況は厳しかった。
 川俣町の介護老人保健施設「リハビリ南東北川俣」は原発から49キロある。放射線量は福島市より低い。にもかかわらず、スタッフは、ストレスと披露に襲われていた。
 副施設長の市川佳子(45)は2011年3月末、こう訴えた。
「放射能への不安。ガソリンがないから職員は家にも帰れない。一人になると施設の裏に行って涙を流している人もいました」
 浪江町や双葉町からの避難者を含め、170人以上の高齢者を抱えていた。市川たち管理職の間では、こんな会話が交わされたという。
「また原発が爆発したら、どうしよう」
「上の者は残っても、若い職員は何とかしなくちゃいけないな」
20~303キロ圏の南相馬市や広野町は市長や町長が避難を呼びかけた。
 しかし、政府は避難指示を出していない。残る人もいた。南相馬市は約1万人の住民が残った。

入院再開は難しい
 2012年4月18日、南相馬市小高区。小高赤坂病院長の渡辺瑞也は、病院を」10カ月ぶりに訪れた。
 地区は2日前、立ち入り禁止の警戒区域から、でき裡できる避難指示解除準備区域に変更されたのだ。
 敷地は草が伸び放題だった。病院の外壁に、当時やっていた塗装工事のシートが残り、ぼろぼろになって風にはためく、無人の病院の自家発電機が轟音を立てている。スプリンクラーなどの消防用だ。
「すさまじいね。ここに患者さんを戻すなんて、できないよ」
 渡辺は警戒区域にあるほかの民間病院と「詩的病院の会」という連絡組織をつくっている。そのなかで、最初に警戒区域から外れた。
 放射線測定器で病院内外を測った。病院内は毎時0・934マイクロシーベルト。やや高い数値が気になる。P39

 誰もいない病室は震災当時のまま。104人いた患者は、東京などのほかの病院に移った。中庭のチューリップが満開だった。
 除染が終われば、居住制限が解除される。そうなると営業利益の賠償が減額されるかもしれない。財物の賠償は具体的に示されていない。
 69歳の渡辺は原発事故の前、後輩医師に病院長を任せ、自分は非常勤医師に退いて75歳まで働こうと考えていた。しかしその医師は宮城県の病院に移ってしまった。看護師など職員の6割は避難中だ。
 借入金が2億8千万縁ある。4月から金利に加え、元本返済も少しずつ始めた。これに職員の退職金支払いも加わることになる。
「入院機能の再開は難しい。できても当面は外来だけでしょう……。69歳という年齢は大きい」
「私的4病院の会」お今村病院。院長の今村諭(57)は4月23日発行の富岡町の義会だよりを読み、驚いた。
 町議「帰還する条件として医療の整備があります」
 町長「双葉郡全体で医療行政を考える必要gああります。現在のところ、医療の拠点を今村病院とし、町医に協力以来することで検討しています」
「そんな相談は一切ありませんでした」と今村は怒る。
 建設時などの借入金が10億円以上ある。親族の家や土地も担保に入っている。今村個人の分もある。
「借金さえなければ、今までの患者が多く住むいわき市に移りたいです」
p49

プロメテウスの罠3 第十三章 病院、奮闘す
2013年2月12日

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