プロローグ

 「80歳で町議会議員を引退しようと思うんだ。55歳で議員になってからやるべき仕事はやってきた。しかしあの3・11でふる里を原発事故で奪われた。双葉郡のすべての人口、特に最も人口の多い浪江町の被害は大きく、その中でも津島地区に最初の四日間は町の人口のほとんどが避難してきたが、実は放射能を含んだ降下物が津島に最も降り注いでいたのに、東京電力も国も現場に危険を知らせなかった。そういう状況で全町民避難で家族もばらばら、仕事も失って県内外全国に原発事故難民として放浪したんだ」。
 四半世紀ぶりに再会した三瓶宝次は、ほとばしるように語った。この時、三瓶さんご夫妻は福島市しのぶ台という団地に、知人の住居を借りて避難していた。日本テレビの「DASH村」でTOKIOのリーダー城島茂さんが、このしのぶ台の避難先に見舞にやってきたのは一か月目の四月のこと。津島の「DASH村」村民が集まって再会を喜んだ。表紙の写真はこの時のものだ。
 東日本大震災という世界史的に稀有な巨大地震と原発事故の複合災害で、他郷に散らばった浪江町の町議会議員選挙は震災以来ほとんどが初めて町民と再会する機会となったが、県内各地の仮設住宅などで会う町民からは「テレビに町長は時々写るが町の議員らは一体なにやってるんだ」と激しい言葉が飛んできた。
 自分の思いも苦渋も押し込めてひたすら家族の命を第一に逃げ回ってきた町民にとって、公的な議会に真情を吐露した選挙の現場には、生々しい浪江町の傷口が見えた。
 三瓶さんは最初の四日間の津島の混乱を、身をもって目撃し、食料を避難所に運び、唯一の命の綱だった津島診療所に延々と並ぶ避難者の列を、これを記録しなければならないと思って夢中で撮影した。
 毎日の報道記事、やがて出版されるようになった原発事故の関連本などをむさぼるように読み、これは世界的なチェルノブイリ事故に匹敵する規模の原発災害であり故郷の一大事にどう対処するのか悩みつつ行動した。2011年11月のうちに有志によるウクライナ・ベラルーシ福島視察団に双葉郡からは川内村長遠藤氏とともにすぐに参加した。帰国してすぐ仮設住宅を巡回し、チェルノブイリ視察報告会を実施した。また2012年の正月には往復ハガキの年賀状で、忌憚ない町民の意見を個人的にアンケート調査した。
 さらには最も大事な仕事としての議会活動。民主党時代から自民党時代の内閣政権トップ、東京電力本社トップ、福島県知事以下の担当者に復興への具体的な方策を陳情、要請で足しげく浪江町の実情を訴え奮闘してきた。この本はこれらの記録を整理し、あらためて議員活動を知らせるものです。
 南相馬市歴史専門調査員 二上英朗

毎日新聞
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/290.html

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