何年ぶりだろう。
ここ日立木の百尺観音は、地元では有名だが、遠来の客か友人でなければわざわざ連れてまでは来ない。
こんかいは日立木駅の近くの神社にあるはずの小高の半谷清寿への地元住民の感謝の顕彰碑の存在を確認するのが主目的だった。ちょうどひる頃でもあり、東京から客人の作家の岡さんも一緒だったので、道順からすれば、さきほどは津波の全滅地帯となった鹿島の右田の奇跡の一本杉、八沢浦干拓地を見下ろす山田神社、磯辺の蒲庭温泉の蘇峰園、と巡って来たので、次の食事処の松川浦への途中に百尺観音が鎮座している。
面白いかも知れない。
前回の訪問は2000年にノルウエーからの留学高校生の両親が相馬高校へご案内と、ノルウエー福音宣教団の長老くぬっつん夫妻をご案内したとき以来のことだ。
そのご、アメリカ取材で入手した1953年に撮影されたカラースライドの百尺観音を、最も興味あるだろうと、この場所で土産屋を経営している二代目の荒仏師の未亡人と、三代目の息子とに、報告と写真の献呈のためにきたのが2001年頃のことだった。
2017年の最近の百尺観音の状況は、311の瞬間のことだ。
「30分ぐらいたって、あわてて観音像はどうしただろうかと見に来たら、右手が欠けて壊れていました」という。たしかに、壊れたまま、まだ修復されていなかった。この巨像の、歴史の一コマに立ち会ったことになる。
土産物屋のバンダイには四代目のイケメンが座っていた。「三代目は亡くなりました」という。
苦労のなさが、また一段と進んで、神官すがたも、貴公子のようだ。
最後に彼の父親に会ったときのことを、彼の4代の観音建立のものがたりをかいつまんで語って聞かせ、当事者の家の歴史を講釈したがるという悪い癖が出た。
水子供養の風車が供えてあるのが、初めての光景だ。
二代目のころには、交通安全が眼目だった時代だが、四代目になると水子だ。
現代の性の謳歌のネガ世界を、廉価の玩具は、カラカラと乾いた音で揶揄しているのか、はたまたドライにラップで歌っているのだろうか。

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