沢先開拓誌2 萱を掻き集めて家建てる  五十嵐馬治

 私は、昭和二十年終戦まで軍事工場宇都宮飛行場に勤めておりました。
 終戦と同時に、さっそく食糧難を解消しようと思い付、亡き母の生まれ故郷津島を思いつきまして開墾しようと思い小塚の亡き叔父由太郎殿を頼りに参りまして、現在の土地を世話してもらお、あした。
 さっそく叔父に連れられまして現在の沢先へ来て見ました。九月中旬ころだったと思います。土地周囲は茸が一面で、今思えばシメジでした。
 最初に自分をはじめ弟二人を相手に開墾を始めました。とにかく昔は営林署の松の木の育てる苗圃地だったらしく、一面に松林でした。
 何と申しましても一面の林で、第一番に伐採しなければどうにもなりません。切り倒しては今度集めて一山ひとやまにしては火を付けて燃やすのが先決でした。
 その間、多少は請戸方面から注文で製塩燃料に塩薪に出したと思います。
 いよいよ開墾が始まりますが、とにかくその前にどんな家でも住む所を建てねばなりません。松の木は幾らでもあるので自由でした。
 第一番に掘っ立て小屋を作り始める。しかしその萱も当時は木炭用に使うので、なかなか手に入らず、でも何とか叔父たちの世話で見つけてもらい、今度は集めるのに馬車を連れてきておりました関係上、何とか集めることが出来たのです。
 萱葺き小屋なぞ建てたこともないが、近くの叔父たちの指導で何とか住まれる様になり、明日からはいよいよ鍬を振るって開墾開始しました。
 松の木の根は間が区、奥深く張っていたので困難でした。当時ろくな食物も取らずしてよくやったとつくづく考えられます。
 お陰様で現在の様な姿に立ちあがることが出来ましたのも、部落ご一同様のご協力の賜物と心より感謝しております。

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