2017.12.16 市長桜井勝延講演聞き書き
https://domingo.haramachi.net/311minamisoma/7229-2/ JR常磐線原の町駅前 南相馬市市民情報交流センター大会議場にて
みなさん、こんにちわ。桜井勝延です。市長に就任して丸八年になります。任期中の最大の課題は震災の克服でした。すべての問題が原発事故に絡んでいます。私が就任して 1月29日に最初にぶつかったのは、デルモンテとまと工場の撤退というでかいニュースでした。すぐに東京に飛んでいきました。キッコー食品の本社にです。町が用意した土地に誘致した企業で地域経済に大きな影響があるから「撤回してくれ」と頼んだのでしたが、聞く耳持たぬけんもほろろの対応だった。それが3・11が起きて、企業の戦略が変わってしまった。のちのち、撤退した工場を買ってくれないか、と言ってきた。それで格安で市が買い取った。大企業の驕りというものがあった。 天命とはそういうものだと思った。
太平洋沿岸にチリ地震が起きて避難警報を出しました。これは真野小に15人避難しただけでした。この時の津波は45cmでした。これが前触れだったのかもしれません。
3・11の震度6弱の時には、原町火力発電所を飲み込んだ津波は21mでした。仙台空港が津波に襲われる映像はテレビで放送されたが、南相馬の津波はYou tubeでは一部はありますが、636人が亡くなった。
3・11には、中学校の卒業式でした。私は原町二中の卒業式に出たが、この時自宅に帰った中学生が津波に呑まれた子もいたし、家族ごと死んでしまった家庭もあった。 震災の直前には市議会の本会議をしており、ある市会議員に「浪江小高原発に態度をはっきりしろ」と質問された。建設予定は私の任期が切れた後になっている。私の態度を明らかにしたところで、次の任期の市長が変えてしまえば変わってしまう。結果として賛否の態度をここで表明したところで意味がない。表明はしませんでした。
注。一般質問は水井清光議員の質問であった。水井はベテラン議員で、財政の収入源に腐心していた。浪江小高原発が政策として予定地を決定し、建設を決定してはいたが三月末に建設計画を国会で毎年先送りして一年ずつ遅らせていた。すでに南相馬市はこれを支度金という名目で数千万円を貰って一般会計に組み込んでいた。計画どおりに建設が始まれば、22億円もの電源交付金が入るのだから、これを促進すればかんたんな話だと思った。それを市長に言わせればいいのだと。そこに311大津波が来た。これも天命だったのだろう。
3.11の時点で、双葉地方から原発事故から退避する住民の群れが避難してきた。何の情報もなかったが、避難してきた中には原発作業員もいた。彼らは「原発がコントロールできない」と言った。「俺たちは今からもっともっと遠くへ逃げるから、あんたらも市民を避難させろ」とも言った。
市役所に常駐していた警察が次の日の3時過ぎ「原発が爆発したらしい」というが、防災の担当者に聞いたが、消防では「確認されない」「あれは誤報だ。避難しなくてもよい」ということになった。ところがテレビで「原発が爆発した」と報道されて、ようやく市民に「避難」を再び呼び掛けたが。小高の議員からは「安定ヨウ素剤を配れ」と言われたものの、事実上これがどこにあるのかもわからない。ヨウ素剤の置いてある場所を探させて小高病院にストックされてあるらしいことがわかり、「取ってこい。あるだけ市民に配れ」と命じた。飲んだ者もいたし、飲まない者も多かった。大混乱だった。
15日テレビで国と県から避難指示が出たが、情報は何もなかった。原町以北は屋内退避、20km圏内の小高区の14000人が住んでいる。これをすべて必死の思いで移動しなければならない。こんな難しいことはない。
数百人を残して、石神二小や石神中学校を避難所に指定。避難する市民は目いっぱいで、入れない。川俣・福島方面への川俣原町線・国道114号線の道路は自動車が数珠つなぎになった。
3月15日、屋内退避と避難指示の命令が出された。もうすでに警察がバリケードを作っていた。15日以前から物資が南相馬市に入らない。私の自宅も大甕小学校に入った所で、独断でマイクロバスを借り切って、地区の人たちを相馬・丸森方面に避難してもらった。
飯舘村に電話して菅野村長に「マイクロバスを貸してくれ」と頼み込んで、伊達方面に避難させた。村ではあの時「どうしたのか?」という状態だった。情報が全く伝わっていなかった。私としては、2号機と3号機が爆発してプルトニウムが降るかもしれないと思って一睡もしていない。3月14日の時点で、自衛隊が、100km圏内から指示されて避難していなくなり、市職員も職場から離れた者もいて、渡辺病院も全員避難した。
原発事故のさなかに、市民が次々に自主避難し、16日にNHKのニュース9に出演し「政府によって南相馬市が兵糧攻めになっている」と訴えた。翌朝の6時半「おはよう日本」にも出た。新潟県知事から「南相馬市民を受け入れる」「新潟県が避難者の面倒を見る」と電話をかけてくれた。16日、部長たちに避難計画を創れ、と命じました。役所の前にも、車が数珠つなぎになってガソリンを求める列ができていた。
増子代議士に電話して、タンクローリー34台を南相馬市に送ってくれるように確約してもらったものの、タンクローリーのガソリンを満載していたが、郡山まで来て、そこでストップして運転手が降りてしまい、あとは自分たちで運んでくれといって逃げてしまう。運転手も危険物取扱者もこちらで用意して、やっと4台のタンクローリーを運転して南相馬市まで自力で運び込み、群がる市民に無料で10リットルずつ無料で配給した。
毎日遺体が上がってくる。相馬農業高校の体育館が遺体安置所になり、毎日運ばれてくる。焼却場の能力に限界があって、焼却できないんです。遺族から懇願されました。「うちのお父さんを焼いてくれよ。もう腐りかけているんだ」と。
市民のみなさんは知らないだろうが、職員は夜中にもずっと焼き通していたんです。行方不明で遺体の見つからない人もいる。
みんな疲弊してました。よくやってくれたと思います。
3月17日、新潟県に向けて、避難者を大型バスで送り出しました。防災協定を結んでいた杉並区からバスが何台も来て、群馬県の片品村からも24台のバスが来て、片品村へも送り出しました。東吾妻町の保養施設に向かいました。
この時にも、私に従いたくないという部長がいました。自分は前の市長に仕えていたので、私の命令には従わないと。議会も、避難したままいなかった議員もいたし、疲弊した職員だって休みたい。
そこで私は、職員を集めて訓示しました。
「役所は避難させない。君たちは日本国憲法を遵守すとという誓約をしても南相馬市の職員になった。市には逃げられない市民もいるし、その面倒を見る介護職員も家族もいる以上、役所は逃げない。こういう時に働くのが公務員・市職員なんだ」
職員の中には、私をにらみつける表情で「絶対にお前のやったことはわすれないぞ」という表情で、中には「殺してやる」といった表情でにらみつけている職員もいた。女子職員の数人は「なぜ逃げてはいけないんですか。避難してはいけないんですか!」と悲鳴に似た抗議の声を上げる者もいましたが、男性職員は全員黙っていました。針の筵の上に座っているっていう状態で、毛のない頭から脂汗を出して、多くのことを学びました。
次の選挙の課題は何かと職員に質問されたが、簡単だ。「命か心かということだ」。私は百姓だから、百姓をできなくする大甕産廃を潰すために戦った。
ところが、一市民の意見は、裁判では残念ながら一市民の意見として取り扱われる。首長のの意見は権力があるんです。
命は一番大事。家族、そして地域が大切なんです。
国と東電とどう戦うのか。少なくとも霞が関の官僚のトップと話していると、あまりも現場を知らなすぎる。必死になって、説明すれば、聞いてくれた人は、情報があって、使命感があって、覚悟があれば、拓ける。
賠償、金の問題では。金に絡んでしまうと人間、賤民化する。
26年の選挙では、浜通り地方の、そして福島県知事の、首長の首が飛んだ。みな保身だったからです。
現場の不満が怒りがみな首長に向かった。
「沢水を飲んでみろ」と突き出された。飲みましたよ。それで血祭りにあげたつもりの住民は、すっきりしましたか。私に怒りを向けて、「北海道に逃げて土地を買った」とか、いろいろの噂を言いふらしました。あのときはすべてにおいて、幻想をもたらしました。放射能が平等に降り注いだんです。
党や宗教が、と言っているようであれば、地域が変わらない。
沖縄の市長選、稲峰さんが勝った。福島は沖縄の辺野古の問題と同じなんです。フクシマの原発問題は。
野田さんも安倍さんも、総理になると「福島の復興なくして日本の恢復回復はない」と言ったが、福島の復興は終わったとして、もう東京オリンピックの話だ。安倍さん、東京から250km離れているから安全だと。敬老会に出ていた私に、ある高齢者が尋ねました。「われわれのところは危ないのか」と。誰が聞いたって、そう思いますよ。安倍さんは、世界に宣言したつもりなのでしょうが、人が傷つくことを想定していない。それで福島の汚染水も「コントロールしている」と。
(フクシマを切り捨てて)「なぜ再稼働なのか」これは沖縄と同じ問題です。
5年後に双葉は解除されるという。平成32年に双葉町は、解除されていないでしょう。
小高は2300人。戻っているのか。警戒解除でNPOの支援も頂いて草むしりの状態です。
平成28年4月から、復旧。避難していないのでは。浪江と同じく解除された。鹿島区のみなさん、鹿島は損してる、冷静になっていないのか。
平成23年に70万円、中間指針の中で、一部非難の呼びかけだから一人10万円もらった。
浪江は避難命令だから満額もらった、小高も多くの避難者が鹿島区に避難したが、満額。鹿島は損してる、という。
人の性ですね。悪いけれども「2億円もらっておめでとう」と言えますか。
下村文部科学大臣に」あったときに、私はこう言ったんです。「賠償金もらっても、自宅に戻って、首を吊って死ぬ人がいることがわかりますか」と。まだまだあると訴えた。ぜんぶ原発事故が原因でしょ。
こんなことがあっていいのか」と。
福島を取り戻したい、10月の選挙のために9月にJアラートを鳴らす。そんなことはもうやめてもらいたい。私は誰にでもすなおにものを語る。自民党の実力者といわれる額賀さんに、廃炉=脱原発でしょ、と言いました。一日スクールバスを出すのに100万円かかる。これも世耕経済産業大臣や奥さんの(民主党)林久美子さんに言って、あとで出してもらいました。
選挙になると「中央の偉い政治家にパイプがあるから」、といいますが、この土地をふるさとをいかに愛しているか、ということなんですよ。看護師がいない、医者がいない、それなら連れてくることがあなたがたの仕事。戦うってことはそういうことです。
公共の小高病院で民間の薬剤師が市民にクスリを渡せるようにしたら、厚労省の薬事局からクレームがついた。二川一男厚労省医務局長、前川喜平文科省次官、鈴木正徳経産省、井本まさかつ厚労省医政局大臣官房、錚々たる官僚が、アドバイザーについてくれている。
ペッパーを派遣してくれた、孫正義(まさよし)。楽天の三木谷浩史さんのドローン開発。スバルのクルーが、自動運転で衝突回避の実験開発をしに来た。12月9日から二週間。これからもさまざまなことで南相馬市にやってくる。それとですね交流人口の大きさが、この地域を活性化する。ホテルの客室数が南相馬市には少ない。
亡くなった魂を呼び覚ますこと。6万人が避難し、636人が津波の犠牲者になった。2100関連死者のうち506人が南相馬市民でした。妥協できないじゃありませんか。二分の一が65歳以上。希望を失っているから、子供たちに与えたい。幼稚園児に無償化しているのは南相馬だけ。子育て支援に1億5000万円を予算化している。
ロボットテストフィールドで実験されて、世界中のドローンが南相馬発信の基準で認可されることになる。
災害には遭ったが、防災対応できて、太陽光などの省エネ技術の組み合わせで再生産可能エネルギーが賄える。
太陽光のエネルギーを取り入れる事業として5000万円から1億円に、今年度から来年度にかけて市の予算を倍増します。思い描いてください。電線のない世界を。
災害に遭っても、ガソリンが入ってこない状態で苦しめられることもなく、自前のエネルギーで生きられる。
人間の尊厳、支援の恩返し。
南相馬に生まれてよかった、と。思ってもらえるような市政にしてゆく。まだまだ語り足りない。みなさんともその背景の10万人ともしゃべってきましたのと同じだと思って居ります。のべ人数は、22年に1200枚から1300枚の名刺がたまった。けっきょく4万枚もの名刺になりました。
それほどのいろんな人とのまじわりによって、これが南相馬市のまことの財産になった。こういう時代にめぐり合わせたことはラッキーだったんですよ。どんなひどい事態になっても驚きません。南相馬が良くなってくれればいいな、と。そう思ってるからです。
謹啓
南相馬ベースのみなさまへ
16日は、栗村ご夫妻の招待をいただき、感謝いたします。いのちの光イベントの第一回の講演講師の大役をいただき、もったいない役割ながら、勝冶さまはじめ、信仰者のみなさまの企画と実行のすべての面で、イエスさまの望まれる仕事を展開されている方々との協働と確信し、喜びをもって同じ歩みを進める幸いを感じております。
このくらいの規模、内容なら、私自身も手掛けてみたいと思って、ふっこうステーションという帰還者支援事業の民間プロジェクトを発起し、実行してまいりましたが、同じ苦労を味わいながら、同じ充実感をも味わいました。ほぼ二か月に一度という頻度のイベントなので、通算で14~15回というのも同じなら、日程的にも同じで重なる例もあって、残念ながら参加できない日も多く、あらためて事業の難しさも感じました。もともと私は、文章家ですので、書いてしまえば終わり、というサイクルでしたのに目的が帰還者支援という市の公募への応募であるため、むしろ事業計画や公的証書の添付や事業報告といった事務的業務の煩雑さや、評価委員会のアドバイスや、ときにが批判など、ふだん忌避してきた社会的な交渉で、多くの学びもしてまいりましたことのほうが、予想外の難問でした。
自治体の公務の限界も見えて、こんごの理想的な運動のありかたにも考えせさせられます。母教会のクリスマス行事に戻って、主に福音派教会の礼拝司会を中心に、ほっと安堵しながら、みなさへの敬意と恋慕を温かく反芻しながら、感謝のあいさつを申し上げます。主イエスとともに、よいお年をお迎えください。在主 敬白