新地駅 311
仙台発原ノ町行244Mは常磐線新地駅に到着直後、強い揺れに襲われました。揺れがおさまると、乗務員は列車無線や業務用携帯電話で輸送指令と連絡を試みましたが、つながりませんでした。
乗務員は乗客の避難誘導と、列車の監視をする任務があります。輸送指令からの指示が得られない以上、自身で判断するしかありません。幸いにも、列車に同乗していた警察官が乗客を避難所へ誘導することを申し出てくれたことから、乗務員はその場に残り、列車監視を行うこととなりました。
乗務員は車両に備え付けられていた災害時用の携帯ラジオで情報を収集し、大津波警報が出ていることを知ります。しかし、新地駅の海側は下水処理場と松林が広がり、海が見えるような場所ではありません。ですから、乗務員は車両に待機し、列車監視を続けました。
たまたま、新地駅の駅舎に状況を確認しに行った乗務員が跨線橋を上がって車両に戻るとき、この乗務員は「波」を見ています。しかし、まだこれが津波だと気づきません。車内に戻り、他の乗務員に状況を説明し、もう一度状況確認に向かおうとしたとき、近くの建物の屋根の上を水しぶきが乗り越えてくるのが見え、急いで車内に残っている乗務員を呼び、跨線橋に駆け上がりました。
津波はあっという間にホームを乗り越え、乗務していた4両編成の列車は後2両が浮き上がり、横倒しになって駅舎と一緒に流されていきました。残った前2両も浮き上がり、跨線橋にぶつかりながら流されていきました。このとき、跨線橋が壊されそうになり、もうダメだなと乗務員は思いました。
何とかこの第1波に跨線橋は耐えましたが、続く第2波は跨線橋の上まで水がきて、そこに第3波が見え、乗務員は再度「もう終わったな」と思いました。しかし、何とか跨線橋は津波に持ちこたえました。
この間乗務員たちは、関係箇所との連絡を試みましたが、携帯電話はつながりませんでした。20時過ぎにやっと職場と連絡がとれましたが、大津波警報が出ていることから、救助の手は届かず、翌朝6時まで乗務員たちは跨線橋の上で寒さと恐怖に震えながら夜を明かし、自力で避難所に向かいました。
以上の文章は
「たしろかおるのブログ」による。
http://ameblo.jp/kaoru-tashiro/entry-12134394003.html
しかし、現実の体験はかなり違う。
たしろかおるのブログは、鉄道関係者からの伝聞を、自分なりに構成したのだろうが、体験者から直接聞きとったほうがよいだろう。いや、伝言ゲームのように、かなり違う話になってしまっているから事実を確定してからネットに上げたほうがよいだろう。