日光神領の奇跡と報恩 実行委員会 二上英朗
311災害で栃木県に避難した友人の絆から日光市の二宮尊徳の勉強会「一円会」に招待され、9月の大豪雨で決壊した鬼怒川を見やりながら尊徳が発業し相馬藩士たちが仕上げた日光神領復興事業の現場を視察してきた。
案内してくれた八木澤会長は「毎年500両を10年間献金し続け、この額は日光仕法総額の3割に相当した。相馬に向って足を向けて寝られないのです」と語って、旧相馬の復興支援への感謝を語った。
過去の陰徳は、311の被災者を受け入れた土地でずっと語り継がれていた。
尊徳亡き後の日光仕法は、跡を継いだ嫡子尊行を富田高慶をはじめとする相馬藩士たちが補佐し、18人いた実地指導者のうち14人が相馬藩士だった。
ほかにも藩から農民を冥加人足として派遣したり、山間で農耕馬が不足した日光に馬を供給した。
尊徳が苦難の人生から結論した報徳思想は「至誠と勤勉、分度、推譲」の実践だ。
ともに苦しさに耐えて助け合う日本人の美徳を学んだ。
日光神領の復興と相馬仕法の絆
2015年10月に、311複合震災で栃木県に避難した南相馬の渡辺浩章が現地の二宮仕法研究会グループとの御縁ができ、南相馬の歴史文化分野の二上英朗と二上裕嗣を招く形で日光市の二宮仕法研究会との橋渡しをしてくれました。栃木から南相馬支援活動をしている岡田雅代が加わって日光神領のフィールドワークをしました際に、日光珈琲という喫茶店で「スーパーひたち」が原町駅に5年も停車したままである状況を話し合い、南相馬におけるシンボル的な震災遺構として歴史遺産となるのではないか、保存展示の可能性について議論しました。
岡田雅代事務局長が南相馬市の原発事故20km避難区域の帰還者支援事業の民間プロジェクトを募集している件に応募を企画し、賛同した渡辺と新たに二上文彦博物館学芸員、すでに小高の復興事業を展開している活動家広橋裕子等に趣旨を了解のうえ参加して頂き、この6名の実行委員でグループ「ふっこうステーション」を立ち上げました。