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  避難を誘導するのがもう精一杯。一晩かかったな、あの時は。朝までかかって避難させて、その間に今度はヨード剤配れなんて話も始まった。小高区の小高病院にだけはヨード剤があったんだ。そてはたまたま、旧小高町の時に「原発に近い自治体の病院だから」ってことで用意させてたんじゃないかな。とりあえず置いてあるものを全部配布しろってことで配布指示は出したんだけど、何より役場が避難誘導でごたごたしちゃって、配る暇はなかったんだ。最悪だった。今になって「なぜ配らなかったんですか?」なんて議会で質問されるんだけど、その議員たちもあの時、避難させるのが精一杯だったんだから……、まあ、なんて言えばいいのかな。
 避難させるのって本当に大変だった。誘導自体が大変な上に、夜中だったからね。避難所には駐車場に入り切れないほどの車が集まっていた。中学校の体育館1か所に合わせて2000人ぐらいの避難者がいるようなところもあった。あの時、避難所全部で1万人ぐらいいたんじゃない? 32か所に。

三瓶宝次の蔵書には、たくさんの箇所に付箋が貼り付けてあって、懸命に読み込み、共感した部分にはアンダーラインが引いてあった。
「避難させる」という部分に、一か所に1万人の被災者が集まっており、それを避難先に送りだすだけのことが、どれほどの瞬発力と忍耐力が必要であったか、自分で同じ作業に携わってみなければ分からぬだろう。津島地区に1万人以上が避難してきた数日間は、まさに、南相馬のこの中学校と同じ状況だった。

ヨード剤を医師と看護師とその家族だけが配って服用し、一般市民には配らなかったという状況は福島医大病院も南相馬市総合病院も同じだった。緊急時の医療活動を担当する機能は、自治体全体が生き延びるための最低限の条件だから、あたりまえの緊急行為だから、あとでたっぷり議論のできる余裕ある場であれこれ批評する評論家的物言いは、どんなものだろうか。
あのとき、あなたはどこにいて、何をしていたのか、と問われながら自責しなければ発しえない質問の一つだろう。

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