原発事故による地域崩壊
門馬寿三 下津島字小塚96
この混乱の間に、3頭の牛が死んでしまった。バックホーで畑に穴を掘って埋めた。この間も毎日搾乳を続けなければならない。絞った牛乳は、出荷することができないため畑に捨てるしかなかった。努力してここまできたのに、何故捨てなければならないのかと涙が流れ、原発事故に対するやり場のない憤りに体が震えた。そのくやしさは言葉にならないほどだ。
牛を何とか助けようと、良い牛を選んで友達に預けたが、移動禁止措置が発令され、せっかく運んだのに戻さなければならなかったこともある。その後、すくりーリング検査をした上で移動できることとなり、地域の酪農家9軒が集まって作業をした。成牛は原町、石川、他杵などの酪農家に預け、育成牛と仔牛は県の放牧場に移した。それでも10頭ほど残された牛はトサツ、焼却処分するしかなかった。友人や家畜商のトラックで運んだ。
なぜこのよなことをしなければならないのか、と涙を流さずにはいられなかった。牛は単なる商売道具ではない。私たちの同僚であり、従業員であり、家族なのだ。その気持ちで大切に扱ってきた。これまで本気になって妻と一緒に努力し、借金も残さず、ようやく成果を上げられるようになって息子に引き継いだ。その息子が真剣に取り組む姿を見て嬉しく思っていた矢先に、原発事故のため全てを無に帰せられてしまったのだ。
牛の移動作業を最終的にオエタがつ27日の晩、磐梯熱海温泉に仲間全員が集まってお別れ会を開いた。三修社は今野幸四郎、今野美智雄、石井隆広、石井春雄、高橋忠正、紺野宏、高橋真喜代、三瓶文雄さん及びその家族などの約0人。これまでの苦労やこれからどうすればよいかなどを、皆で話し合った。この時点では、未だ先が見通せる段階ではなかったが、誰もが戻れる可能性に懸け津島での酪農再開に将来への希望を繋いでいた。
賠償はいらない。地域を元の姿に戻し、これまで通りの生活ができればそれでいい。賠償など受けずとも、地域では自足した生活ができたのだ。それが原発事故のため土地を汚され、ふるさとを追われ、家族をバラバラにされ、避難生活を余儀なくなれているのだ。元の姿に戻してほしいと言っても詮無いことかも知れないが、土地を除染し再び使用できるようにしてほしい。土地あってこその農業なのだ。それが私達の最大の願いである。
最後に「津島小唄」を記録して残したい。
1 津島山中 カラスも鳴かぬ
今じゃ開けて バス通る
よいとこ 磐城の津島村
よってけよってけ よいさっさ
ヤーレ どうじゃい どうじゃいな
2 見たか乙女よ 炭たく煙
村は栄える 国は富む
繰り返し
3 雪も降ります 氷も張るが
人の心は 温かい
繰り返し
平成25年8月29日聴取
3.11ある被災地の記録