要点 事故調中間報告
距離だけ考えた 浪江町
福島県浪江町は、3月12日早朝の政府指示を受け、役場機能を町北西部の津島地区に移転し、町民を津島地区や、福島第一原発から半径10~20キロ圏内に避難させた。同日夕に避難指示29キロ圏内に広がり、住民をさらに避難誘導。町長は15日、二本松市への避難を決断した。福島第一原発から北西方向へ逃げるこの経路は、結果的に放射性物質が火さんした方向と重なっていたが、政府から予測データが公表されず、多くの町民がそれを知らないまま避難した。
「危険なら、当然避難指示があると思っていた」
浪江町の高橋和重さん(52)は憤る。身を寄せた同町津島地区が実は、放射性物質が降り注ぎ、放射線量が高かったと、あとになってわかった。
大地震から一夜明けた12日早朝。津波の被害を確認しようと街へ出ると、消防車両やパトカーがサイレンを鳴らし、避難を呼びかけていた。「10キロ圏内は避難してください。国道114号で津島へ」。車内には、防護服を着た人もいたという。
自宅アパートは原発から10キロ弱。妻の欣子さん(51)、長男(17)とともに渋滞の中、車を津島地区の実家へ走らせた。
到着した実家はすでに、ほかの避難者であふれており、地区内の知人宅へ行った。近くの集会所も80人ほどすし詰め状態だった。
午後、第一原発1号機が爆発。テレビで見て動揺はしたものの、避難している人の間には「大丈夫だろう」という雰囲気が漂っていた。避難指示は20キロ圏に拡大されたが、津島地区はそれよりも数キロ外側で「安心していいと思っていた」。風が原発の方へ吹いているのも安心材料だった。
14日午前、3号機が爆発。長男になるべき外に出ないよう言ったが、炊き出しは引き続き屋外で行われ、子どもたちも外で遊んでいた。「原発から自分が何キロ地点にいるのか」。当時、住民の頭にはそのことしかなかった、と思う。「線量の濃淡が分からなければ、決断のしようがない」
長男がどの程度被曝したかがいま最も気がかりだ。(小川直樹)
数日後に事実が 南相馬市
南相馬市では3月12日、半径20キロ圏内にある市南部から市中部の原町地区に住民を避難させた。15日に原町地区が屋内避難圏に入ったことから。希望者を市外へ避難誘導した。この際、原発近くや地震・津波被害が甚大な地域を避けるため、多く野住民が飯舘村・川俣町方面に避難。放射性物質の飛散方向と重なった。
被曝強いられた 飯舘村
飯舘村は4月22日、村全域が計画的避難区域に指定され、住民が避難した。事前の住民への説明会では「なぜ今頃になって避難しなくてはならないのか」と厳しい声が上がった。
朝日新聞 平成23年12月27日