第一章
これはただごとではない

311浪江町議会の議場で
 その日その時、私は浪江町議会の議場にいた。新年度予算編成の定例会が開かれていたからだ。すると突然、地鳴りのような音がして、ガラス戸や机がガタガタと揺れ出した。「地震だ!」誰かがそう叫んだ。自身はこれまで経験したことがないほど強く、横揺れがひどくたっていられない。片手で机の端を押さえ、体を支えようとしたが、机も揺れ動き支えにならない。両手で机の端を、中腰になって体を支えているのがやっとだった。
 そんな姿勢でどれだけいたことか。長かったような、短かったような。
 「もしかしたら町に大きな被害が出ているんじゃないか」
 議会は急きょ休会になり、町と議会は情報収集にあたった。
 だが電話もつながらない所が多く、詳細はわからない。そんな中に請戸の港を見て来た人の報告が入った。
 「漁船は多数流されている。港はもうメチャクチャだ。」
 報告は深刻な事態を告げていた。

312 福島中央テレビ本社
 三月十二日午後三時三十分。一号機建屋が爆発した。
 地元地方テレビ局のFCT福島中央テレビ本社だった。
 郡山市池ノ台にある本社一階の報道フロアにいたチーフカメラマンの箭内太(45)は、何気なく収録デッキのモニター画面に目をやった。
 白い煙が見えた。
 「なんだ、この煙は」
 写しているのは福島第一原発の南南西約17キロの山中に設置されている無人カメラである。24時間監視できるようにしてあった。箭内は映像を拡大してみた。建屋が爆発しているのがわかった。
 午後三時四十分、放映中の全国放送に割って入って、爆発の映像を流した。防災用のヘルメットを被ったアナウンサーの大橋聡子がカメラに向かう。論評や解説は一切なし。七分余りの間、大橋は見たことを言葉にし続けた。
 「先ほど福島第一原発から大きな煙が出ました。北に向かって流れているのがわかるでしょうか」
 この一号機の異変は、総理官邸の菅首相にも伝えられたが、白煙が上がっているということだけが報告された。
 午後四時四十九分、日本テレビが全国放送で爆発の映像を流した。福島中央テレビから日テレ系列で全国放送されたのである。
 (朝日新聞「プロメテウスの罠」「政府調査団報告書」)

相馬双葉いわき 福島県浜通り地方の被害続々

 平成23年3月11日午後2時46分頃、三陸沖を震源地とするマグニチュード8.6の巨大地震があり、宮城県北部で震度7、福島県で震度6を観測した。
 気象庁によると関東大震災を上回り、近代的な地震観測が始まって以降最大。県・県警察本部・各市町村・各消防本部などによると同12日午前零時現在、南相馬市で24人、いわき市で9人、相馬市で5人、須賀川市で3人、富岡町で2人、浪江町で1人、新地町で1人の計45人の死亡が確認された。
 また県警によると行け不明者は370人に上った。けが人は131人。浜通り地方の各市町村に大津波が押し寄せ、多数の家屋や車両が流され、県内各地の広い範囲で土砂崩れや火事、停電が起きた。
 最も被害のひどい南相馬市では、1800世帯が壊滅状態になっていると防衛省が発表。自身の死者は1000人を超える見通し。また県・県警などによると南相馬市原町苦の介護老人保健施設ヨッシーランドが津波に襲われ10人が死亡。いわき市植田町では火災などで3人が死亡したほか同市久ノ浜町で2人の水死体が発見された。相馬市では市社会福祉協議会のデイサービスセンターのバスが津浪で流され、男性1人、女性2人が死亡。同市のスーパーでは、壁の下敷きになり、女性1人が死亡した。浪江町では家屋が倒壊し、男性1人が死亡した。
 県警発表。行方不明者は、南相馬市300人。
 白河市12人。須賀川市9人。いわき市3人。その他46人。
 富岡町では5人が行方不明になっている。
 またいわき市小名浜には、地震直後の大津波が押し寄せ、魚市場などを飲み込んだ。相馬市では高さ7メートルを超える津波があり、住宅地が水没。新地町では住宅約420戸が全壊したほか沿岸部を中心に家屋などに大きな被害が出た。

民間事故調(福島原発事故独立調査検証委員会)調査・検証報告書による体験記。
 「翌三月十二日、朝七時頃になって津波の状況を見に、南の方向にある富岡漁港に向かった。富岡川に津波が上がり、富岡漁港に下りて行く手前で橋は流され、道はなくなっていた。そこからは富岡漁港、富岡駅、駅前に開発した住宅地などが一望出来たが、見えたのはまるで空襲にあったように壊滅したそれらであった。
 何台かの車が止まって、そこから降りた人たちが我々と一緒に呆然とその廃墟を眺めていた…」
 「。。。家に戻ってから九時を過ぎた頃に突然、防災無線から「福島第一原発が緊急事態になりました。町民は川内村役場を目指して避難してください。マイカーで行ける人はマイカーで避難してください。近所の人も乗せてください。バスはそれぞれの集合場所から出ます」という内容の放送が繰り返された。
 6基ある第一原発のどれかの非常用デイーゼルの起動に失敗したのなかと思ったが、まさか津波で壊滅的な状況になっているとは思いもしなかった。ましてやメルトダウンなっどは想像できなかった。
 こう語るのは元日本原子力産業会参事。
 「妻にどのくらいで自宅に戻れそうかと聞かれて、長区ても二三日と答えた。また地震の後に防災無線で津波の注意報意外に何も言わなかったので、第一、第二原発あわせて10基の原子炉のことはあたまの中から消えていた。
 いずれにしても日本原子力発電所に勤務していたとき、あるいはこちら(富岡)に来てから防災訓練が簡単なものばかりだったので、原発事故は最悪でもスリーマイル島の事故以下であり、ほとんどが一日か二日で収まるものとの思い込みが、私の中で出来上がっていた」

甚大な津波被害

 「一日か二日で収まるだろう」
 それは私達も同じ思いだった。だが、地震の被害は想像を上回っていた。
 同年四月二十七日、県はこの大地震による死者、行方不明者、住宅被害、農林水産部内の公共施設の被害状況を発表し、これによると死者1933千九百三十三人、行方不明者216人、住宅被害は23万149棟、震災被害総額は5915億円にも達する。
 また使者が出た市町は20市町。南相馬市が631人で最多。次いで相馬市が457人、いわき市310人、浪江町181人、新地町114人、富岡町69人、双葉町53人、大熊町42人、楢葉町33人を超えた。
 行方不明者はいわき市が最も多く37人、南相馬市7人。
 調査対象48市町のうち半数近くの20市町に死者や行方不明者が出たことになる。
 農林水産部門関連の公共施設の被害は別表のとおり、計70億6450万円、土木部関連は3162億201万円。県内10漁港の被害は70億6450万円。水産被害では、漁船8737艘が被害を受け、漁港では松川浦、請戸が最も被害を受けた。

これは殺人罪じゃないのか?

 三月十二日、一号機で水素爆発が起こる二時間前、文部科学省所管の原子力安全技術センターに、漏れた放射能物質の拡散を割り出すためのシミュレーションを実施していた。
 その結果、放射能物質は浪江町津島地区の方向に飛散していた。
 しかし政府は、その事実を浪江町と住民に告げなかった。SPEEDIである。
 この結果は福島県も知っていたが、福島県も浪江町に知らせなかった。あろうことか東京電力・原発事故の連絡も告げられなかったのである。
 福島県は十二日夜には東京の原子力安全技術センターに電話してSPEEDIシミュレーション情報の提供を求め、電子メールで受け取っていた。情報だけ受け取り、浪江町に連絡せず、メールはその後削除され、受け取った記録さえうやむやにされていた。
 三月十五日に津島から避難した住民に、県からSPEEDI結果が伝えられたのは、二か月後の5月20日のことである。県議会ではこの事実が問題となったためだ。
 福島県の担当課長は、五月二十日、浪江町が役場機能を移転していた二本松市の東和支所に釈明のため訪れた。
 「これは殺人罪じゃないのか」
 町長の馬場は、県職員に強く抗議した。
 馬場によると、県の担当課長は涙を流しながら「すみませんでした」と言い、SPEEDI結果を伝えなかったことを謝罪したという。
 のちに報道から判明した理由では、県の担当部局のノートパソコンのメモリー容量が小さいため、膨大な地図情報データが次々に流されてきたため、最新データだけを残して記録せずに削ったという。
 立地町村の県民の生命健康にかかわる「いざというとき」の原発の苛烈事故の想定に備える段階から不備があったのである。
 広大な県土のすべての災害情報が、数名の防災職員にどっと襲ってきた。
 責任官庁に優先順位の意識なく、原発事故に反応はしてもパニックそのものだったことがわかる。
 これが安全神話というCMで飼いならされてきた国と福島県の実態だった。

「ただごとでない」 原発周辺住民、情報足りず募る不安
2011年3月15日15時6分

 遠くへ避難する必要があるのか。地元福島県の自治体や住民は緊迫している。市町村は「国や県からは何の情報も来ない」と焦りを深める。
 15日午前8時ごろ、福島第一原発2号機の圧力抑制室が破損した情報が伝えられ、県庁の隣にある県自治会館の災害対策本部は一気にざわついた。
 幹部が詰める会議室には秘書や担当者が激しく出入り。幹部らの顔は引きつり、緊張で張りつめていた。佐藤雄平知事は会議後に「事態の収束を国・事業者に求める」とメッセージを投げかけた。県民に対しては「落ち着いて正確な情報をもとに行動してください」と求めた。
 同原発がある双葉町の北隣、浪江町はほぼ全域が「屋内退避」対象の半径30キロメートル圏に入る。町議の三瓶宝次(ほうじ)さん(74)は情報を受け、15日早朝から津島地区の避難所のうち3カ所を巡回した。住民から「いったいどうなっているんだ」「移動したいが、ガソリンがなくてどうしようもない」と訴えられたという。
 地区には計約5千人が避難。路上に止めた車で寝起きする人も多い。「避難所生活の疲労と原発への恐怖で、住民の心労はもう限界に達している」と三瓶さんは感じる。「あやふやな情報で不安をあおることはできないが、この事態はただごとではない。情報を注視するしかない」
 市域の一部が20~30キロ圏内にあるいわき市は、14日夜から、30キロ圏内の久之浜地区を対象に自主避難を呼びかけ出した。15日朝には国からの屋内退避指示より早く、広報車を出して住民に屋外に出ないよう呼びかけ始めた。建物の窓や扉をしっかり閉め、長袖を着て肌を露出せず、水にぬれたハンカチで口をおおうなどの対策を知らせている。市内各地から「避難しなくていいのか」と問い合わせが相次いだ。
 避難所があるいわき市の平第二中学の男性教員は「避難所の方々も遠くへ行きたいと思っていると思う。しかし、ガソリンもないので行くこともできない」という。「風向きがこちらだと言っても、自分には避難所の水槽の管理や安否の問い合わせに応じる責務がある。ここを離れるわけにはいかない。今日は自宅に帰ることもできないだろう」
 同原発から北へ約30キロの南相馬市は、防災無線で屋内退避を呼びかけた。市の一部が半径20~30キロ圏に入る田村市では、防災無線で対象地域に屋内退避を呼びかけ始めた。
 半径20キロ圏の住民約1600人を受け入れている内陸部の三春町は、2号機のニュースを聞き、早朝から対策会議に入った。「これまでは避難の方を受け入れてきたが、これからは町民の避難も考えなくてはならない」
 双葉町から、内陸の川俣町の小学校に娘と2人で避難している水野文雄さん(65)も、避難所のテレビで状況を知った。「原発は怖い」というイメージがあったが、東電の社員の管理に信頼を置いていた。その東電が一部社員を退避させた。「もう人の力ではどうにもできない状態になっているのか」
 福島県境の茨城県北茨城市の避難所には、すでにいわき市からの避難者が訪れている。「困っている避難者の方々は受け入れていきたい」と担当者は話した。

「ただごとでない」 原発周辺住民、情報足りず募る不安
2011年3月15日15時6分

 遠くへ避難する必要があるのか。地元福島県の自治体や住民は緊迫している。市町村は「国や県からは何の情報も来ない」と焦りを深める。
 15日午前8時ごろ、福島第一原発2号機の圧力抑制室が破損した情報が伝えられ、県庁の隣にある県自治会館の災害対策本部は一気にざわついた。
 幹部が詰める会議室には秘書や担当者が激しく出入り。幹部らの顔は引きつり、緊張で張りつめていた。佐藤雄平知事は会議後に「事態の収束を国・事業者に求める」とメッセージを投げかけた。県民に対しては「落ち着いて正確な情報をもとに行動してください」と求めた。
 同原発がある双葉町の北隣、浪江町はほぼ全域が「屋内退避」対象の半径30キロメートル圏に入る。町議の三瓶宝次(ほうじ)さん(74)は情報を受け、15日早朝から津島地区の避難所のうち3カ所を巡回した。住民から「いったいどうなっているんだ」「移動したいが、ガソリンがなくてどうしようもない」と訴えられたという。
 地区には計約5千人が避難。路上に止めた車で寝起きする人も多い。「避難所生活の疲労と原発への恐怖で、住民の心労はもう限界に達している」と三瓶さんは感じる。「あやふやな情報で不安をあおることはできないが、この事態はただごとではない。情報を注視するしかない」
 市域の一部が20~30キロ圏内にあるいわき市は、14日夜から、30キロ圏内の久之浜地区を対象に自主避難を呼びかけ出した。15日朝には国からの屋内退避指示より早く、広報車を出して住民に屋外に出ないよう呼びかけ始めた。建物の窓や扉をしっかり閉め、長袖を着て肌を露出せず、水にぬれたハンカチで口をおおうなどの対策を知らせている。市内各地から「避難しなくていいのか」と問い合わせが相次いだ。
 避難所があるいわき市の平第二中学の男性教員は「避難所の方々も遠くへ行きたいと思っていると思う。しかし、ガソリンもないので行くこともできない」という。「風向きがこちらだと言っても、自分には避難所の水槽の管理や安否の問い合わせに応じる責務がある。ここを離れるわけにはいかない。今日は自宅に帰ることもできないだろう」
 同原発から北へ約30キロの南相馬市は、防災無線で屋内退避を呼びかけた。市の一部が半径20~30キロ圏に入る田村市では、防災無線で対象地域に屋内退避を呼びかけ始めた。
 半径20キロ圏の住民約1600人を受け入れている内陸部の三春町は、2号機のニュースを聞き、早朝から対策会議に入った。「これまでは避難の方を受け入れてきたが、これからは町民の避難も考えなくてはならない」
 双葉町から、内陸の川俣町の小学校に娘と2人で避難している水野文雄さん(65)も、避難所のテレビで状況を知った。「原発は怖い」というイメージがあったが、東電の社員の管理に信頼を置いていた。その東電が一部社員を退避させた。「もう人の力ではどうにもできない状態になっているのか」
 福島県境の茨城県北茨城市の避難所には、すでにいわき市からの避難者が訪れている。「困っている避難者の方々は受け入れていきたい」と担当者は話した。
(朝日新聞Asahi.com)

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