3.11から3年 特別座談会「これだけは分かってほしい」
あれは誰だったのか
「プロメテウスの罠」は2011年の10月にスタートしました。以来、朝日新聞の連載はもう700回を超えています。最初のシリーズは「防護服の男」で、初回は防護服男に「頼む、逃げてくれ」といわれた菅野みずえさんの話でした。
菅野みずえさん(以下、菅野) 震災翌日の2011年3月12日、時間は午後2時から4時の間、4時に近かったと思います。浪江町津島の自宅前にいると声が聞こえたんです。見るとワゴン車の運転席で防護服の男がなにか叫んでいました。全面マスクをしていt、くぐもった声でした。
―――運転席の窓を閉めたまま?
菅野 閉まっていたかどうかは覚えていません、声がくぐもって聞こえないので、「なに?なに?」と問い返すと、車から降りてきました。降りてきて、必死に「福島方面に30キロ以上逃げてくれ」と、涙こえでした。
―――防護服の男は二人でしたよね。
菅野 はい。助手席にも一人いました。涙声の男は、「なんでそんな恰好で歩いているんだ」ともいっていましたね。あのとき津島には津波や原発から逃げてきた人たちがたくさんいて、女の子が普通に歩いていましたから、私の家にも25人が避難してきていました。
―――その男の招待は今も分からない。
菅野 事故翌日の3月12日に防護服と全面マスクで現れるというのは。国か東京電力の関係者だと思うんですよ。でも分かりません。あなたは誰だったのですか、と聞いてみたい。私はまだ探しています。
―――防護服の男以外に、「危ないぞ」というメッセージを伝えてくれる人はいなかった。
菅野 事故から1年たって、原発立地町では国がバスを手配して住民を逃がしていたという記事を見ました。驚きました。私たち浪江町民は棄てられていたんだ、と。
司会は前田基行
p236 「プロメテウスの罠」6 朝日新聞特別報道部 2014年3月11日
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