浪江町津島地区の歴史
昭和31年 冷害となる。鶏卵集荷始める。新和道路完成式。開拓農農協前橋完成により広谷地全線完成。第一次救援米到着(加州米)。第二次米534俵。
昭和32年 アメリカより救援物資第三次米500俵、粉、衣類。
昭和33年 台風22号により学校被害のため文部省次官学校災害調査に来る。
昭和35年 大柿分校廃止。阿武隈縦断道路津島―飯舘間が完成。民俗芸能調査のため文化庁から専門家3名と県から1名来訪。
昭和36年 農林中金が財務債権債務の確認。農村加工場を廃止。津島中学校女子制服を制定。季節保育を始める。日本民謡及び芸能録音のためNHK仙台放送局より3名来訪。
昭和37年 風力発電気の導入。津島中学校創立15周年記念文化祭。校旗を制定する。中学校独立図書館を上棟。音楽室、家庭科質を増築完成。
昭和38年 津島小学校校歌と校旗を制定。津島中学校肩かけカバンを採用。
昭和39年 東京オリンピック。小学校・中学校で完全給食開始。
昭和40年 羽附分校廃止。へき地保育所始める。
昭和41年 開拓20周年記念式典。1戸250円負担。
昭和42年 津島開拓婦人ホーム建設。国庫補助789,000円。地区負担150,000円。町補助311,000円。計1250,000円。開拓組合長大塚仙吉から氏家政幸へ。
昭和43年 風力発電導入。
昭和44年 農村地域集団電話導入。保健福祉館兼津島診療所完成。
昭和45年 泉田川二級河川に指定。
昭和46年 台風23号豪雨で被害。
昭和47年 12月26日、津島の田植え踊りが県重要無形文化財に指定される。津島地区学校給食共同調理場開設。津島郵便局が新築。
昭和48年 手七郎分校閉校式。
昭和49年 手七郎分校閉校。津島公民館完成。農村集団電話第二期増設163小戸。
昭和50年 津島保育所落成。
昭和51年 国道114号線津島バイパス工事。
昭和52年 12月11日、津島の田植え踊りが国重要無形民俗文化財選択となる。
昭和54年 農業構造改善センター完成。役場津島支所を開拓婦人ホームに移転する。
昭和56年 旧役場支所解体される。
昭和57年 大柿ダム完成。142億5000万円。水量1,950万トン。
昭和58年 津島小学校津島第二分室と改称。
昭和59年 第二小学校統合。
昭和63年 津島中学校降車書いた木。津島中学校新築落成し移転。
昭和64年 平成と改元。津島中学校落成記念式典。
平成2年 診療所新築移転。
平成3年 農業・商工会各団体により津島いきいきフォーラム設立。津島産業まつりを実施する。
平成4年 旧診療所廃止。
平成5年 天明以来の大凶作。稲作皆無。外米をブレンドして売る。歯科診療所新築。歯科診療を開始。豊年盆踊り大会。昼曽根トンネル開通。