戦後の津島地区の歴史
昭和20年 昭和二十年八月の太平洋戦争の終戦によって、津島地区に駐屯していた「伝」部隊約百名は解散された。赤宇木駐屯の海兵隊も本隊に帰った。
アメリカ進駐軍によって刀剣類を津島の農家からも供出を命じられ没収されてトラックで運び出されていった。
民生用の燃料が枯渇して国鉄は木炭バスを戦後まで運航させていた。
昭和21年 進駐軍が小学校に保管されていた鉄砲や機関銃を没収していった。
国鉄バスの燃料がアルコールになった。
昭和22年 PTAが結成された。
手七郎分校開校。津島中学校開校。南津島字中下。
津島たばこ収納所。
昭和23年 8月12日付で開拓に限り役牛、馬の家畜税賦課免除。緊急開拓事業入植国庫補助。住宅1戸11,000円。共同作業所66,000円。共同井戸8,000円。分校場250,000円。松根油採取敵地調査。農村工業振興組合設立。新制高等学校発足。ララ物資配分。大柿分校開設。青年学校廃止。国鉄津島駅バスの燃料ガソリンになる。
昭和24年 和牛導入開始(国庫補助・農林漁業資金)。炭カル導入補助。
昭和25年 加工場建設。加工操業開始。渡辺カツ代保健婦着任。
学校林として浪江営林署より借り天王山国有に5町歩を設置する。
昭和26年 高等学校津島分校。村有林借用学校林として殖林(東舘)
昭和27年 津島村開拓婦人会発足。手七郎季節分校開校。
昭和28年 広谷地地区にラジオ共同聴取施設。NHK福島放送局、村の援助により世界初の有線放送。北海道と2か所でNHKが試験放送(補助)。学校給食みそ汁開始。国鉄いわき津島駅廃止。福島駅に移転。
昭和29年 津島村開拓農協で初めて三輪車を購入。220,000円。冷害となる。トラック保有者 丸福商店3台。伊丹商店1台。津島農協1台。
昭和30年 津島酪農業協同組合設立。下津島字宮平に津島小学校校舎移転決定。津島中学校校歌制定。浪江町に合併する。
津島中学校
http://kizuna-project.net/namie/tsushima-jhs.html
雲光る わが学びやは
文化の泉 希望にもゆる
友愛に 歌声おこり
今日のあゆみ 力に満ちて
ああ母校 津島中学校 日の匂う わが学びやは
平和の泉 祈りはつきず
友愛に 歌声おこり
美し調べ このやにあふれる
ああ母校 津島中学校 天近き わが学びやは
不断の泉 理想はたかし
友愛に 歌声おこり
日築く 一粒われら
ああ母校 津島中学校
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