主なる事業の歩み
1、開墾と開拓団地関係
 開墾は開拓農家にとって基本であるので、一鍬一鍬朝に霜を踏み、夕べに星を背に未墾の荒れ地に懸命にいどみ、約田80町歩、畑520町、計600余町を開いた。
 国の開墾補助金2,750万円を受けた。
2、 未墾地取得関係
 入植当初は国有地(適地を各々が踏査して)の貸付を受け、その後県が所属替えされ各地区別開墾計画を策定、実施測量して各個人及び団体に未墾地として売り渡された。
(イ) 昭和25年 広谷地、羽附、南中153町売渡され
      〃   津島地区、第二津島地区の開墾地計画樹立完了
    昭和26年 自興手七郎、白追地区個人に売渡
      〃   沢先外8地区個人売渡の為実地測量
    昭和27年 同上。個人及び開拓農協へ売渡
    29年迄  その他地区に個人売渡実施
    その合計  1,259町歩
(ロ) 成切検査
昭和30年 広谷地、羽附、南中地各検査実施され
昭和31年 自興手七郎、白追地区の検査実施され
昭和32年 沢先外8地区検査実施され
(ハ) 津島開拓農協に売渡された共同採草地約180町歩
事務的に苦労したが、各農家に登記変更を完了した。
(3) 営農の確立の推進
開墾が進歩、当初は先ず食糧の自給のため、主穀(大小豆・陸稲・麦類等)の増産に取り組み、共販できるまでになったが高冷畑作中心は主畜形体に計画、初め中小家畜(羊・鶏)奨励、実績上げた。
 国が開拓資金融資法の施行と開拓信用基金制度(保証資金と改称)の融資活用により、大家畜農機具(耕うん機他)・肥料・生産資材の導入施設(サイロ等)をなし、農家の基礎を着々と整えた。
 昭和24年融資法により、和牛17頭(岡山県)初導入、毎年増頭また県有の和牛の貸付を受け等により、200余頭にのぼり、畜力利用、土改に仔牛の生産に開拓農家が伸長した。
◎ 昭和24年津島家畜組合が設立(組合長今野寿男)され、毎年羊のせり市場を開設、出場数も年々増え盛大となり、畜産振興に大いに寄与した。
◎ 昭和28年、29年の大冷害は、主穀形体を根底から揺さぶられた経営が危殆に瀕したが、冷害資金等の借入れ(生活物資・種子を購入)、キリスト奉仕団のララ物資の厚情等を受け、漸く局面を打開した。

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