夏場のタイベックスでの作業は過酷
10キロ圏内への高い放射線量危険地帯へ
 私は、「学校再開が復興への第一歩である」という馬場町長の基本姿勢により、教育支援班と災害対策班の合同で、町内の学校施設を中心に17カ所の放射線量を調査。原発事故直後の平成23年6月17日jから、毎週金曜日に町内に立ち入りし調査してきました。第一原発から約10キロ以内で、もちろん放射線量は大へん高く、危険な地帯です。
 タイベックス(防護服)とマスク、靴カバーを着用し、被曝線量計を身に着け、シンチレーション式空間線量計を持参し、町内に入りました。全面マスクの内側は、呼吸でメガネが曇り視界不良。タイベックスは通気性が悪く、全身が汗でビッショリ。特に夏場の作業は過酷でした。食事も採らずに帰庁することも度々ありました。

「毎時80μSv」の数字に気分が悪くなる
 計測は、阿武隈山地の津島地区の津島支所から始まり、津島小学校、津島中学校、浪江高校津島分校、赤宇木椚平地内へ。昼曽根地内の空間線量は、地上1mで毎時20~30マイクロシーベルト。大堀地区の小丸集会所前では地上1mで毎時30~50マイクロシーベルトを計測し、地上1cmでは毎時80マイクロシーベルトを計測。この数字を見ただけで気分が悪くなりました。
「陶芸の杜おおぼり」の駐車場でも、地上1mで毎時20~40マイクロシーベルトを計測しました。
 私が想定する放射線の流れの方向は、双葉町の西、石熊から双葉バラ園、浪江町井手地区、大堀陶芸の杜から小丸、国道114号線の大柿ダム上空から津島赤宇木地区、手七郎地内からさらに飯舘村へと拡散していったものと思います。
 
警戒・避難区域に31回の立ち入り調査
 放射能は五感で感じることができず、どれだけ浴びても熱や痛み等が伴わないので、被曝の程度を自覚することができません。
 私は被災後、生活が少し落ち着くと、自分自身の「外部被曝・内部被曝」が心配になり、ホールボデイ検査を希望しました。
 私の場合、平成23年度中に浪江町の警戒地区、計画的避難区域に一時立ち入りした回数は31回、滞在延べ時間は161時間にもなります。当然内部被曝が心配なので、平成23年11月7日福島県平田村にある医療機関・ひらたクリニックでホールボデイ・カウンター・WBCを受診しました。結果は、経過観察で3カ月後に再検査となりました。
・ セシウム134は1202ベクレル(今回の検査における検出限界は250ベクレル)
・ セシウム137は1508ベクレル(今回の検出限界は300ベクレル)
体内にある放射性物質から、概ね一生(成人では50年間)に受けると思われる線量の「預託実効線量」は0.26ミリシーベルトと推定されました。
 平成24年度から浪江町津島診療所に、ホールボデイカウンター・WBC検査機器が導入されたので、平成24年6月6日にそこで再検査したところ、
・ セシウム134は177ベクレル(今回の検査における検出限界は240ベクトル)
・ セシウム137は240ベクレル)
再検査で、体内にある放射性物資から、概ね一生(成人では50年間)に受けると思われる線量の「預託実効線量」は1ミリシーベルト未満と推定されました。
 

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