原発になお地域の未来を託せるか 清水修二著 自治体研究社 2011年6月15日初版
福島大学副学長の清水修二氏は、
『NIMBYシンドローム考-迷惑施設の政治と経済-』(東京新聞出版局、1999年)
『原発になお地域の未来を託せるか-福島原発事故 利益誘導システムの破綻と地域再生への道-』(自治体研究社、2011年)
『差別としての原子力[新装版]』(リベルタ出版、2011年)※初版は1994年
『原発とは結局なんだったのか』(東京新聞出版局、2012年)ISBN 4808309653
などの原発関係の著作があり、共著・編著にも
『地域力再生-人が人らしく生きられる地域に-』(北土社、2009年)
『あすの地域論-「自治と人権の地域づくり」のために-』(八朔社、2008年)
『臨界被曝の衝撃-いまあらためて問う原子力-』(リベルタ出版、2000年)
など精力的に啓蒙と発言を展開している人物。
途方もない激震がいきなり襲ってきました。仙台市郊外の冨谷町にある自治体職員研修所でちょうど講義をしている最中でした。思い切り全身を揺さぶられるような横揺れ。それがなかなか終わらない。机の下にもぐった女性県職員が「お焼く終わってえ!」と悲鳴をあげました。揺れの大きさもすごいものでしたが、その持続時間が尋常でない。やっとおさまって、みんなが建物の外に出たところに二度目の大きな揺れが来ました。屋上にある釣り竿のような長い避雷針が、ブルンブルンとムチのように左右にしなるのが見えました。
建物の内壁のあちこちが崩れ、水道も電気もガスもzんぶストップです。交通機関ももちろん麻痺し私は三日間「帰宅難民」になりました。近くの公民館が避難所になって数百人の人々が集まってみました。そこでは自家発電でテレビが見られましたが、映し出される津波の映像はまことに恐るべきものです。どこそこに数百人の遺体があるようだ、といった情報も流れてくる。仙台港の方向では火災が起こったらしく、翌々日になってもまだ夜は山の向こうが赤く染まっていました。
津波の次に飛び込んできたのが福島第一原発の事故報道です。原子炉の冷却ができなくなって住民に避難の指示が出たばかりでなく、爆発さえ起ったらしいと聞き、テレビの映像を見てあぜんとしていました。1号機の原子炉建屋が骨組みだけになっています。鉄筋コンクリートの建屋が何であんな壊れ方をするのか、実に不思議でした。そのうちに3号機の建屋まで吹き飛び、容易ならざる事態が深刻の度を加えて行きます。
家族にも職場にも電話がつながらない状況で気をもむばかりでしたが、三日目に何とか山形経由で福島大学に戻りました。それ以来、学生たちの安否か二人やら、さらなる原発事故拡大への対応たらで、大わらわの日々が続きました。
同著「まえがき」より。
同著「あとがき」より。
福島に住むようになって31年、宮城県沖地震の再来は覚悟しておりましたが、まさかこのような大惨事に遭遇し、さらに原発災害の渦中まで身を置こうとは、まさか「我が人生の想定外」でした。(中略)
チェルノブイリ事故では、現場作業に従事した人が癌で死んだという人を除いて犠牲者は確認できないという人もいれば、九万三〇〇〇人が癌で死んだという人もいます。とにかくいろんな意味において異常で不気味なこの災害と、福島の私たちは当分、付き合っていかなければなりません。
原発のある双葉地方をこれからどうやって再生していったらいいか、それはこれからみんなで(首都圏の人も一緒に)考えてゆかねばならないことです。「復興から再生へ」の壮大な、未知へのチャレンジです。