原発事故被害町民の苦悩と避難生活の不安  三瓶宝次
◆ 震災による浪江町の被害状況 死者82名
災害関連死264名(うち原発避難関連死92名)

 浪江町、町会議員の三瓶であります。今回のシンポジウムの報告時間が15分ということであります。本来であれば2日でも3日でも語り尽くせないことがたくさんあるのですが制約されておりますので、浪江町の現状をかいつまんでお話し申し上げたいと思います。
 3月11日ですが、私達は平成5年に建てたまだ新しい庁舎で議会の全員協議会をやっておりました。震度はマグニチュード9ということでしたが、浪江町の震度は6強でした。浪江町は請戸という漁港があり、低い所に住宅が密集しています。そういう所ですので常時、防災訓練マップなどを作り、非常時の避難誘導等の訓練をしておりました。ところが今回の地震、津波については全く従来の感覚、状態と違い、大きな津波が来るということで町の防災無線で町民に避難を指示しました。我々も議会中でありましたが、さあ大変だということで、協議会を打ち切り、散り散りばらばらにそれぞれの家なり地域に行ったということです。
 浪江町は昭和の町村合併によって1町4村の合併された町です。人口は現在、約2万1000人。面積は、被害、被災地町村の中で一番多い面積を持った人口も多い町でありました。実は、津島という前の村があったわけですが、それが合併しました。そこに役場支所がありまして、そんなところに非常事態が来たということで、町の災害対策本部はその支所に本部を移し移動しました。114号線という国道がありますが、それが唯一の動脈でしたので、避難指示が出された後、なんと25kmにわたる渋滞が発生しました。30分で通行できる時間が6時間かかったという状況です。
 津島地区に避難指示があり、町民約1万人が避難しました。私は地元地区の住民ですので、そういう立場から避難住民の食糧確保、それから避難所探しに奔走しました。それは3月12日から15日の間です。先程からいろいろお話がありましたが、国、東電からは一切原発が爆発するという通報なり予報は全く行われておりませんし、町自体もわかりませんでした。実は私の知り合いが3月12日の朝、私の所に来まして「三瓶さん大変だ、原発爆発するんだ」「何そんなことあるのか」というお話をしました。とんでもないことになるということでしたが、彼からは「福島に逃げるので一緒に逃げないか」と言われましたが、私は立場上そうはいかない。住民を差し置いて自分だけ逃げるわけにはいかない。「もう少し状況をみて判断する」と言い伝えました。彼が教えてくれた情報は、息子さんが第一原発に努めているということからわかったということです。それはどういう事かと言うと、第一原発は1号機から6号機あるわけですが、すでに東電、国は、そのうずれかが爆発するということがすでに分かっていたということを裏付けるものです。
 その後、先ほどからお話ありましたように国は放射能の拡散状況を予測・予報する「SPEEDI」というデータを持っておりまして、何十億もかけて作り上げたと言われたデータです。県は国から12日に「SPEEDI」の情報を受けておりました。それを住なり市町村に知らせないで無視して握り潰しておいたという事が後でわかりました。こうした事が今、集団訴訟の原因の一つになっているのです。
 15日になり浪江町は隣の二本松市に集団で避難を受け入れて頂くよう二本松市の市長に依頼し、二本松市東和支所に移動しました。その後、丁度1年前、二本松市内の「男女共生センター」に役場機能を移し、現在は二本松市に仮設の役場を移して行政事務をやっている状況です。
 浪江町の現状ですが、資料にあります通り、被害状況は死者が182名、災害関連死264名となっています。うち原発避難による関連死は92名。津波による被害は添付の通りの状況です。住民の被害状況については、県内に3分の2の1万4000人、福島県外に3分の1の7000人が避難しています。今でも多少戻っては来ていますが、大体そう変わりない状況です。仮設については全部で浪江町分が県内に30あり、大体4500人程度の避難住民を受け入れて、そこで避難生活を続けているわけです。仮設のほかに民間の住宅を県が借り上げて、直接県が家賃を支払うという借り上げ政策ができておりまして、それは当然、東電への賠償要求になっていくという事になるわけですが、応急住宅としては6400戸、人口にして1万3000人です。
 原発事故以来2年5ケ月になりますが、その間我々は議会として5回にわたって、県内の施設や東京、大阪、遠くまで出向いて懇談会を開き、住民との対話をし、それを政策あるいは要望、要請ということで活動してきました。そういう中で、事故当時と現在の状況は変わっております。当初は「議員なんて要らない。おめえたち何やってる」。そういう不満や怒りが、どこの施設に行っても浴びせられました。住民の立場からしますと、その思いなり不満を他にぶつける先がないわけですから、そうした事は当然の事なのです。「町長何やってんだ。お前ら約に立たないからやめろ」という話までいきました。現在は状況が違いますので収まっていますが、先程来から報告されている通り、町や村に対して住民の声が届いていない、そういう不平不満や思いが、そういう形で出て来ているのかなあと考えております。それは議員という立場からやむを得ない役目だと思っています。それを耐え抜いて住民のために努力するの大切ということで、我々頑張ってきたところであります。
 高齢者の方からいつもよく言われるのですが、「俺はこんなところで死にたくない、どうしてくれる」という声がよく異口同音に出ます。これについては我々本当に何と言ってよいか返事にしようがない思いです。胸の痛むつらいことです。そういう状況の中で、仮設や借り上げ住宅での見知らぬ所での生活が続いているのです。
 浪江町はその後、今から1年前ですが、浪江町の「復興計画」を策定しました。4年間は、平成24年から計算しているんですが、帰れないという決定をいたしました。議会でもそういうことで決めました。それはどういった事かというと、市街地については下水道施設である終末処理場が地盤沈下を起こして使えません。それから水道も道路も相当の整備が不可欠という事であります。いろんな地域のそういう対策というものを完了させるには4年間がかかるということで決定をしています。

 それで浪江町ではアンケートを実施しました。様々な案件でアンケートを取ったのですが、住民の意識動向を把握する一つの項目として、「故郷に戻りたいか」という問いがあります。約30%程度の人が戻りたいという人。戻らないと決めている人は大体20数%、3割に近いですね。あと分からないというのが大体23%という経緯になっています。
 これはどういう事を物語るかというと、避難生活が長引けば長引くほど戻りたくても戻れなくなる。或いは戻れない状態や環境ができてくるということです。町は国の予算で「災害復興住宅」を今作っているんですが、「災害復興住宅」を作るという政策はなかなか思うように進んでいません。
 いずれにしても住民は苦しい避難生活を続けておりまして、限界に来ています。

 実は私、チェルノブイリの福島調査団に参加して調査に行っています。チェルノブイリでは26年になった今を総括すると、住民は放射能との戦いが今も続いております。一つはやっぱり学校給食、食品など一品一品検査をして食しています。それから健康被害が出ているという報告です。
 そしてやはり、長引けば長引くほど戻る人が少なくなる。それによって町や村は存続しなくなる。いわゆる消えてゆくという状況が発生しているわけです。
 チェルノブイリの地域では、原発から30km圏内は立ち入り禁止になっていて、一切人は住めません。そういうふうな状況になっているのもかかわらず、二本は除染をして住民を戻すということで、今、膨大な予算を使って除染作業をしています。山間地の山林、農地などは除染など出来る筈はないんです。そういうことからして私は、地域の対策、住民対策すべての政策において国は間違っている。やはり線量に応じた対策をいち早く打ち出し、住めなければ住めないということではっきり方向性を出すことが大事だったのではないかと考えております。
 いろいろお話したいことがあるんですが、議会としては当初から脱原発、そして10基の原発をすべて廃炉にするという決議をして関係者に送り、今もそれを主張しています。
 今、浪江町は平成24年4月1日より放射線量により3つの区域に分けられ、当面帰還できない「機関困難区域」が町の全面積の8割程度に設定されました。これらの地域の再生は非常に厳しい状況です。避難生活が長区なればなるほど、ふる里へ戻れなくなります。もう2年半が経過し、限界です。先の見えない中、新たな場所(避難先)での生活再建を考えるようになります。それには充分な賠償がなければできません。現在、東電が示している基準では到底生活再建は出来ません。財物賠償、精神的苦痛、生活支援策など総合的な対策を要求しており、すべて国と東電の責任において完全賠償補償を果たすよう求め続けております。
 また、地域ふる里の再生、復旧、復興、新たな生活基盤、生活圏の構築など課題がいくつもありますが、原発プラントの早急な収束を求め、住民が安全で安心して暮らせる環境の回復を求め続け活動しております。短時間で充分な報告、お話が出来ませんでしたが、時間となりましたので終わらせて戴きます。ありがとうございました。

福島を忘れない! 全国シンポジウム報告集 2013年8月17日の記録
シンポジウム実行委員会・たんぽぽ舎 共同発行 2014年2月発行

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