復興期し集団移住
原発事故収束への工程表「ステップ2」が16日に完了し、今後、警戒区域や計画的避難区域の見直しが始まる。全域が両区域に指定されている福島県浪江町の町民が帰れる日はいつか。避難が長引く中、町民がまとまって暮らすことで復興への希望をつなぎ留めようと、町ごと別の区域に移り住む“集団移住”を望む声が高まっている。
浪江町民 声高まる 道遠くも望みつなぐ
「今日もくれ行く仮設の村で 友よつらかろ、せつなかろ いつか帰る日を想い」。計画的避難区域にある浪江町津島地区の民家。避難した家人が残したとみられる張り紙が窓にあった。
「仮設暮らしは、精神的に2年が限度だ」。町議の三瓶宝次さん(75)は指摘する。避難生活が9カ月を過ぎた今、住民の帰還への思いは揺らいでいる。町が11月に実施したアンケートでは、町民の約3割が「町に戻らない」と回答した。
町民や有識者による検討委員会が策定を進める「復興ビジョン」の中間とりまとめではS、除染を進めたうえで、2014年3月までに一部住民を帰還させると明記した。
だが、三瓶さんは「住民が部分的に戻っても、働く場所もなく、経済活動が成り立たない」と分析。町を支えてきた農業、漁業の再生は遠く、インフラや農業、漁業の再生は経済生活が成り立たない」と分析。町を支えてきた農業、漁業の再生は遠く、インフラや医療の復旧も容易ではない。
県内外に散り散りになった町民約2万人の絆を保ち遠い先になるかもしれない復興に望みをつなぐため、さんぱいさんは、浪江町から遠くない土地を確保し全町民が集団移住するよう訴える。「国や県に実現を迫ってゆく。移住先に歯若い人達の働く先も確保し、家族が一緒に暮らせる環境を作るべきだ」と強調した。
仮設や借り上げ住宅に住む人たちを支援している町商工会副会長の原田雄一さん(62)も、町民がまとまって暮らせる環境が大切と考えている。
事故前は町で時計店を営んでいた原田さん。移転が実現できれば商店街を復活させたいと意気込む。「浪江に、双葉郡にこだわりたい。仮に子や孫の世代になっても、一緒にいればそれまで励まし合える」
馬場有町長は集団移住を求める声に「意見は尊重しなければならない」としつつも「一方で、3分の2の住民は戻りたいと考えている」とあくまでも帰還を第一とする姿勢を示した。
帰りたい、でも高線量 本県避難者あきらめも
警戒区域内から本県(富山)に避難している被災者さ、自宅がある地域が依然高い放射線量が記録されている。自宅のある地域は近く、長期間帰宅が困難な「帰還困難地域」に指定される見込みで「冷温停止宣言にも心は動かない」と言葉を漏らした。
南相馬市小高区から大野市に避難している長谷川弘さん(39)は「警戒区域解除に向けた動きが進み、近く故郷に戻ることができるかもしれないが、子どもの放射線への影響を考えると複雑。「帰りたい」「帰れない」という思いが交錯する」と話し、「国がきちんと除染して、放射線が除去された―と宣言する日はいつの日か」と早急な除染を求めた。
富山新聞 2011年12月17日