原発事故 落首に託す避難生活
 原発事故で避難を余儀なくされた。3月14日に、須賀川に家を建てた長女宅に避難し7ケ月過ごした。その間、集会所の避難所にも行ったが。堪えきれず1日で娘宅に戻った。その後、10がつ1日に現在いる二本松市の塩沢農村広場仮設住宅に入居した。
 この間、原発事故・避難について感じたことを新聞に当初したら掲載されたので、再掲した。

  〇原発の安全神話 私たちにも責任
 「避難生活も3カ月になる。福島第1原発の最初はすぐ収束すると思っていたが、だんだんと深刻になっていった。避難所における東電の説明には不満があった。しかし、考えてみると私たちにも責任があったと思う。原発については全国的に訴訟が起こっていたが、安全神話を信じ国、起業、司法までが原発よりだったように思える。
 数十年前、私の知人が原発の危険性を訴え議員選挙に出たが相手にされず、最下位落選だった。国全体が原発建設へと向いていた。東電を責めるつもりはない。今は明るい話題を一つでも多く知らせてほしい。「金のためじゃない。やらなくちゃならないから行くんだ」「避難した人たちを一日でも早く戻してあげたいんだ」という原発事故の現場で働く人の声が載った記事に感激した。
 平成23年6月20日 福島民友「窓」欄掲載
3.11 ある被災地の記録

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