三瓶宝次の経歴
 宝次が子供のころ戸籍というものに「士族」という文字を意識したことがあった。戸籍から家系図作ったものがある。
 三瓶久米治―粂之助―忠満(粂之助の姉キサの婿)-辰右エ門(安政2年~昭和11年)―定見(明治13~昭和32)–定光(明治32~)-宝次(昭和11~)
 曾祖父が亡くなった昭和11年に宝次が生まれている。
 三瓶宝次の経歴 昭和11年8月24日、浪江町大字下津島字小塚63番地の1に生まれる。父は営林署職員。双葉高校を卒業したが、浪江駅から下津島は最も奥にあって遠隔のため、双葉町に嫁した叔母の家に寄留して通学した。
 「叔母は双葉のお寺で清水寺の住職に嫁に行ったので、わたしが下宿したのもこの寺でした。ここから双葉高校に通学した」
 昭和30年に卒業して同年春、津島開拓農業協同組合に就職。
 「津島村がとなりの浪江町と合併したのが昭和31年でした。これは良かったのか悪かったのか、時代の趨勢でした。葛尾村も合併する予定だったんですが、最後になって抜けた。けっきょく葛尾はそのまま村にとどまった」
 昭和41年に三井生命保険相互会社に入社。昭和52年に同社を退職し、中央不動産株式会社に入社。昭和58年まで勤めあげて退社。以後農業に従事。現在に至る。
 「高校を嫁業する時に、もう一人の叔母が看護師をしていたこともあって、医者の道に進もうかなどとも考えました。でも農家の長男だったし、家も地所の管理もしなくちゃいけないと思った。それでけっきょく地元の農協に農業やりながら勤めた」
 平成5年より周囲から推されて浪江町町会議員に出馬し、当選。6期24年間をつとめる。
平成7年から9年まで建設常任副委員長。9年から11年まで文教厚生常任委員会委員長をつとめる。平成15年から17年まで議長をつとめた。
 「そんなに長くやるつもりはなかったんですよ。そろそろ辞めようかと思ったところに、あの3・11の大地震がきた。それからもう、以前に増して忙しくなった。選挙のたびに、町長はテレビに出るけど、町会議員は何やってんだ、と聞かれる。責められる。いろいろやってるんですよ議員もね、一生懸命に。それで町会議員も懸命に町の将来のことを真剣に考えて行動してる。そういうことをちゃんと説明したいし、自分の考えを本にまとめようかと」
 17年から21年まで地域共生型電源開発委員長。19年から21年に議会運営委員長。20年から21年に議員定数調査特別委員長。23年から25年に浪江町災害対策副委員長。25年から27年に議会運営副委員長。25年から26年に資格審査委員長などを歴任。
 「地震のことも津波のことも、マスコミにはたくさん紹介されてきた。でも、最初の津島と赤宇木のことは、なかなか知られていない。最初の四日間が一番大変だった。町の人口のすべてが津島に押し寄せた。診療所に二百人もの人が並んだ。あの時の写真は、私の所にしかないので、新聞記者が仮に来ましたよ」
 平成25年4月30日(火曜日)で任期満了となる浪江町議会議員の選挙を、4月11日(木曜日)告示、4月21日(日曜日)投票の日程で行った。
 議員定数の改正により、今回の選挙から、選出する議員の定数は20人から16人となった。宝次たちが行政改革の具体的な方策として決めたことだ。

 選挙で、宝次は前の年に記した「三瓶宝次の立場」というビラを、仮設をまわりながら配って説明した。

三瓶宝次の立場 平成24年

 浪江町の市街地においては、倒壊した住宅が道路の各所に横たわり、水道、下水道は壊滅的な被害を受け、インフラの復旧も手付かず、海岸線は津波で家が流され、津波の犠牲者の数は百八十人を超えております。山間部の農地は荒れ放題。地域の復旧には多年の年月が必要となります。
 一方、住民は一日も早くふる里に戻りたい、我が家で生活したいと願うのは当然であります。戻って生活できる場所になるのか・……など。
 先の見えない状況が続いております。
 現在の避難生活にも限界があります。今回、放射線量により新たな区画線引きを国は示すとしているが、これま未だ示されておらず、自宅への出入りは自由に出来ずの状態にあります。
 こんな状況の中で多く野町民から、先の見える方向性を示してくれとの声が、日々増大しております。
 現在まで町行政機関も議会も、住民の立場に立って、東電に対し国に対し様々な要求を求めて来ました。住民の生活再建、補償賠償、被災者の健康問題、地域コミニュテイの確保、集団での移転先の確保等々。しかし、東電、国は我々に納得出来る条件を満たしておらず、住民の立場に立った姿勢ではなく、問題を先送りしております。
 こんな状況の中、高齢者、病弱者の方々などは悪循環の中、体調をくずし、命を短くしている人々が多く出て来ておりますし、また、先の見えない事への失望から無理に命を絶ってしまう人が多く出て来ております。
 何としてでも、一日も早く住民が元の生活に、安定した暮らしに、また家族そろって生活できる環境に戻さなければならない。
 この思いを基本に据えて、日夜努力しているところであります、

 立候補予定者説明会は浪江町役場二本松事務所2階の大会議室で3月2日(土曜日) 午後2時から行われた。投票所は次のとおり、異郷でバラバラに投票するという、生まれて初めての体験だった。
 浪江町第1投票所 浪江町役場二本松事務所 1階会議室 二本松市北トロミ573
 浪江町第2投票所 福島市笹谷東部仮設住宅東集会所 福島市笹谷字片目清水36-4
 浪江町第3投票所コラッセふくしま2階 福島市三河南町1-20
 浪江町第4投票所ビッグパレットふくしま3階会議室 郡山市南町二丁目52
 浪江町第5投票所福島県いわき合同庁舎南分庁舎1階 いわき市平字梅本15
 浪江町第6投票所南相馬市ゆめはっと2階会議室 南相馬市原町区本町二丁目28-1
 浪江町第7投票所石神第2仮設住宅 集会所本宮市糠沢字石神61
 浪江町第8投票所 桑折駅前仮設住宅第3集会所 伊達郡桑折町字東段30

4月20日(土曜日)、21日(日曜日)に投票所に向けて巡回バスを運行した。また期日前投票や不在者投票が第7、第8を除く6か所の投票所で行われた。

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