TOKIOとともに津島の有志たちと
三瓶宝次には夢がある。
故郷津島の自然豊かな景色の中に、日本テレビで放送された「DASH村」をテーマパークとして、浪江町の観光地にしようというものだ。
人気タレントグループTOKIOが、地元の農家や大工さんから、伝統的な暮らしのわざを学んで村づくりをする。それは、いわば一つの理想郷であった。
津島DASH村復興計画委員会 二上 英朗·2016年11月27日
DASH村を帰宅困難地域としての津島地区の復興のシンボル事業にしたいとの浪江町町議の三瓶宝次さんインタビュー第七回目。飯坂温泉「双葉旅館」にて。創業者も二代目の女将も双葉郡富岡町の出身。同じ双葉郡の出身者への共感から、設営してくださった。発案は私と毎日新聞の大塚さんの三者鼎談だ。
三瓶さんの夢は「津島復興」だが、そのシンボルとしてDASH村をモデルケースにしたというのだ。その知恵を借りたいと三瓶さん。津島住民による集団原発事故訴訟。「ふるさとを返せ」というスローガンに全国民は興味などない。しかしDASH村を復活させようという声なら、関心が高まるだろうとの戦略だ。
マスコミの風潮も、ことしに311で満五年の「区切り」を境に、2020の東京五輪に雪崩をうつ風潮だ。国の避難指示解除でつぎつぎに「被災地に戻れ」キャンペーンには、毫も住民の意向など汲みとられていない現状に抗いつつ、なんとか全国規模の運動に育ててゆきたい。
それじゃあ僕が、要望主意書の手紙を書いて、環境大臣の丸川珠代に「あなたが夜の森の桜並木を大熊町復興の特別拠点の除染集中ポイントにしたように、浪江町津島地区の復興拠点のモデルに日本テレビのロケ地DASH村を指定して、双葉郡の復興拠点にしてほしい」と訴えましょう。くわえて放送主体の日本テレビのプロデユーサーにも「ぜひ復活を御願いするともりだ、と申し上げた。
双葉郡一円の避難指示解除という切り札で、賠償金の打ち切りに持ち込もうという国の目論見に対抗して、いざというときには、国民一般に寄金を呼びかけるよ、と。
DASH村復興こそが、津島復興の最終形のモデルなのだという理論武装を、年内に仕上げてネットにアップします。いえいえ、このFACEBOOKのノートを書いた時点で、もうスタートを切りました。
DASH村復活計画。面白かったね。第二回目のジャムセッションも面白そう。
三瓶さんの双葉高校に進学した若い時代。津島の遠距離通学が大変だから、双葉の清水寺に嫁した叔母さんの嫁ぎ先から、長塚駅前の双葉高校に通学。
「もう一人の叔母が看護師だったことから、自分も医者になりたいという夢があったんだ」という青春の夢から、津島地区選出の町議会議長を経て、いまや廃村の運命に存続の夢かけて最後の闘いとする現在の心境までを、じっくり聞きました。
連携プレーで、裁判、ADR、独自の復活計画の立ち上げ、という来春に向けての戦略会議。どこまでも見果てぬ男のロマンを語り合って更けゆく飯坂温泉の夜でしたとさ。