「ふるさと返せ」と団結
工事を遮断するように、国道を封鎖する二つ目の検問所があります。
帰還困難区域への入口です。浪江町の総面積の8割を占めます。
地元住民も機関困難区域への立ち入りは、月に決まられた数日間に限られます。取材に入った日は、盗難防止でパトロールする車二出合っただけでした。
一本道の山道を走ると信号機が設置された場所に出ます。津島地区の中心です。自然豊かな山間部で約450世帯、1400人が暮らしていました。
ここで、「帰還困難区域にされた津島は消滅してしまう」という危機感から、会派を超えたたたかいが始まっています。
「原発事故による完全賠償を求める会」です。日本共産党の馬場績町議と自民党の三瓶宝次町議が共同代表になりました。福島市にいる三瓶町議はいいます。
「平穏な生活と故郷が一方的に奪われ、強制的に避難させられた。いまも続いている。住民の代表として、津島地区に育ち、生活していた者として、住民を守っていくのは、共同の責任だと2人で相談しながら、やってきました」
300世帯余が「求める会」に結集しています、国と東京電力を相手に、原状回復と精神的損害賠償を求める「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」(第一次・昨年9月、第二次・ことし1月15日)をたたかっています。土地や家屋などの財物被害は、原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)に申し立てる方針です。
「国は機関困難区域を指定するだけで、住民に先の見通しを示していない。森林の除染をやらないという国の言い分は、中山間部にある津島の住民として承服できない。津島住民みずから立ちあがらないと、住民の生活再建と地域再生はできない。故郷への思いがあっても、避難期間が長くなればなるほど子どもの教育や仕事場など帰るに帰れない事情が多くなる」
しんぶん赤旗 浪江町のいま 全町民避難指示5年 2016年3月11日号