へこんでいく人々
 浪江町下津島の国民健康保険津島診療所は、地区で唯一の病院だ。
 医師の関根俊二(69)は、そこで15年前から診療を続けてきた。今は二本松市の仮設住宅の一角にある仮設診療所で診察に当たっている。
 事故当時、津島診療所はまるで野戦病院だった。
 放射能から避難した約1万人が津島地区にやって来て、患者が診療所に殺到した。330人が押し寄せた日もある。
 診療所の外は長い列ができた。避難者の中の医師が手伝ってくれ、どうにか乗り切った。浪江町が役場ごと二本松市に避難した3月15日まで、そんな状態の状態が続いた。
 3月16、17日2日間、関根は郡山市の自宅に帰った。診療所の役割は終わったと思ったからだ。
 しかし18日、「仮設診療所をつくるので来てほしい」と町から要請がある。19日から二本松市で診察を再開した。
 津島地区だけでなく、他地区の浪江町民も大勢やって来た。
 困ったのはカルテがないことだった。どんな薬を処方していたのかも分からない。だいいち、薬自体が足りなかった。
 事故から1年が過ぎた今も、1日100人の患者が来る。県内各地に散った津島地区の住民も来る。それを、関根ら二人の常勤医師が中心になって診察している。
 いま一番問題となっているのは認知症と糖尿病、それに「廃用症候群」。手足の筋肉が衰えて歩くのも不自由になる症状だ。
 原発事故が起こるまで、90歳近い人が畑で働き、元気だった。しかし今、知らぬ土地で畑もなく、体を動かさない。茶飲み仲間はおらず、狭い仮設住宅で暮らしを強いられる。
「健康だった人だって、これじゃおかしくなります」
 浪江町によると、原発事故後、介護保険が新規認定された人は4月までで656人。事故前の1年間の3倍近くに達する。
 うつになったら帰れるのか、帰れないなら今後どうするのか。将来の見通しが立たず、精神的ストレスがのしかかる。
 子育てのお金がかかるのに金がない。離婚、親の介護……。夫婦げんかや親子げんかも増えてくる。東電がきちんと賠償してくれるのかどうかも分からない。
「そんな積み重ねが少しずつ人間をへこませていくんです」と関根は言った。

引退なんてできない

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