浪江町議会はどう動いたか

 「東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う全町避難を受けた浪江町議会の一年の記録」(平成24年3月)という公文書から、浪江町議会の対応の推移を振り返ってみたい。
 平成23年3月定例会は
3月8日から18日までの11日間
上程案件は36件(条例案件11件、補正予算関係8件、当初予算案Kン11件、その他5件、報告1件)あった。このほか請願2件、陳情2件の筈であったが、いずれも緊急災害に対処するために審議未了となった。
 一般質問には8名が予定されていた。 
 8、9日は本会議。10日は3常任委員会による審議が行われた。つづく11日には中学校の卒業式のため午前中は式典に出席する議員もおり、午後からの全員協議会で顔をそろえた。
 午後2時46分、激しい揺れが襲ってきて、4階にある全員協議会室も自分の体をおさえるのがやっとの状況だった。長く続いた揺れはいったん収まったものの、その後の状況が心配だったため会議を中断し、各自災害対策に向かった。以後、議会としての活動は当面の間は停止状態を余儀なくされた。
 町としての役場機能は11日(金)の地震津波によりその晩から避難所と化していた。翌12日(土)20km圏内からの避難命令により町内津島支所に移動。3月15日(火)に二本松市東和支所に移動し、被災者の支援にあたった。以後2か月にわたってここを拠点に活動することになる。
 被災者の二次避難に伴い、再度事務所の移転が検討され、5月23日(月)から二本松市郭内にある福島県男女共生センターに移転。その後、二本松第二事務所も設置した。福島市、本宮市、桑折町に出張所を設置。その後もいわき市、南相馬市に出張所を設置予定とする。
 議会事務局は職員3名のうち1名は病気療養中で、その他の2名は町災害対策本部付けで被災者対応に当たっていたため、ほとんど議会事務局としての業務ができない状況にあった。
 5月に入って、ようやく局長が義会に専念できるようになったものの、要望活動等は相手先との交渉も含め、議員で対応してもらうことになり、事務連絡を事務局で行うといった状況だった。
 
議会事務局の移転
浪江町議会事務局の移転
 平成23年6月8日(水)かねてより要望のあった議会活動の拠点としての議会事務局の立ち上げについて、関係機関との交渉の結果、安達地方広域行政組合・自治センター2階第一会議室を事務所として借用することができた。
 定例会議などについても3階会議室を使用することとなった。
 当面、局長と臨時職員で対応。定例会については職員3名(1名併任)、臨時職員1名で対応。

 避難者支援の公務に追われながら、目の前に山積する難問を処理しながらも、議会としての基本は、町民の目となり耳となって町のすべての活動と一体で復興の原動力になることだが、監視とご意見番としての役割を果たすことだ。そのうちでも、町当局の動きに異議をとなえる場合もあった。まづ町民の気持ちを聞こう、という最初の町民アンケートを求める段階だった。役場機能の移転と議論の積み上げと改築費用など、多くの問題で議論が尽くされていない、という判断を下した。

浪江町役場移設予算案を否決
議会 選定法・費用に異論
 浪江町議会は25日の臨時議会で、二本松市に間借り中の役場を市内の別の場所に移設する費用を盛り込んだ2011年度の一般会計補正予算案を反対多数で否決した。「選定の議論が不十分」などの理由。間借り期限が近づく中、町は4度目の移転の再考を迫られる。
 全域が避難区域の町長は震災直後に役場機能を町の支所に移し、二本松市の支所を経て、昨年5月から県男女共生センターに置いた。3月末で契約が切れるため、移転先を探してきた。
 数か所から絞り込んだが市街地から北西に約4キロほどの市有地。無償で借りた敷地に鉄骨2階、延べ床面積約2千平方㍍の事務所をつくり、分散している教育委員会や議会事務局を集約する。建設費用約3億9千万円の3分の2は国の補助金で、8月末の移転を前提に、県には間借りの延長を要請する予定だった。
 しかし、臨時会では「選定経過が議会で十分議論されていない」「費用が高すぎる」などと反対が相次ぎ、東京電力の賠償で賄うべきだとの指摘も出た。
 町は間借りの再延長は困難とみて、同市内でこれまで挙がった候補地を再検討するか、別の敷地を探すことを視野に入れている。
 町は段階的な帰郷をにらんだ復興計画づくりを4月から本格化させる考えだけに、混乱が長引けば痛手となる。「役場機能の停滞につながりかねない事態で残念だ」。馬場有町長は閉会後、困惑した表情で語った。(澄川卓也)朝日新聞2012年1月26日

原発被害実態把握へ 浪江津島住民と懇談 自民特命委
 自民党原発事故被害特命委員会は24日、福島市で、浪江町津島地区の住民と懇談会を開き、額賀福志郎委員長と梶山弘志委員が、計画的避難区域となり避難を余儀なくされた住民の意見、要望を聞いた。同地区の現地視察も行い、放射線量を調査しながら、原子力災害の実態把握に努めた。
 県から東京電力福島第一原発事故のこれまでの経緯と、同地区の民家の土壌や水の放射性物質調査結果が説明された。これらを踏まえ、住民が意見や要望を訴えた。
 畜産業の三瓶専次郎さん(63)は、原発事故直後に地元消防団員らが昼夜を問わず屋外で活動した事例を挙げ「津島の住民は被曝しているが、直ちに影響がないという。人の命はどうでもいいのか。政治家は政権争いばかりでなく、国民のためしっかりと取り組んでほしい」と述べ、徹底的な除染を求めた。額賀委員長は「町民が戻っても安心して生活できるよう東電と国が責任を持って除染をやり遂げる。政府に復興のための予算をつけさせ、しっかり対応させてもらう」と答えた。

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