チェルノブイリから学ぶ  三瓶宝次

 ちょうど25年前に起きたチェルノブイリ原発事故が今どの様な状況にあるか、当時の状況から現在までを探るためベラルーシ・ウクライナ福島調査団に参加した。
 今回の福島第一原子力発電所事故で放射能が拡散、地域は広範囲に汚染された。それにより、避難を余儀なくされている多くの住民は故郷を追われ、今までの暮らしのすべてを失い、医の地や健康を脅かす状態となっている。
 一方ベラルーシ・ウクライナにおける放射能による汚染の実態は、事故当時から現在まで国の対応策、住民の健康被害状況、農林業をはじめとする産業被害、社会的影響、住民避難、住民生活支援対応状況など様々な課題、問題に対すること、そうした状況に対する対策がどのように講じられたか。また、その後の復興、地域の再生、地域の経済はどう変わったかなど、被災地の様々な問題を探り調査することにより、それを教訓として生かすことが出来るかなど大きな関心を以ておりました。
 今回の調査により、福島第一原発事故の状況と重ね合わせ視るに多くの課題問題が浮かぶ上がってくることを知りました。
 印象に残った第一は、国情に違いがあるにせよベラルーシ・ウクライナに於いても、25年たった今でも住民は放射能との闘いが続いていること。
 一例では学校においては給食の食材などは備え付けの線量計で一品ごとに測り、基準以下であり安心して食用できるかを、児童生徒みずから安全かを確認している。
 また一般住民も同様に安全性を確認しながら生活している。
 第二はチェルノブイリ原発事故の被害を受けた多くの村が消えていったことである。
 強制的に避難させられ戻れない場所の住民、また、戻れる場所であっても戻らない住民が多くいたこと
 これらを思うと、今我々の地域の実情実態を考えると放射野鵜の高い場所の地域(町)は住民が戻りたくても戻れない地域が発生する恐れが出て来ていること。
 そして町の再生は難しいと考えられる自治体が」発生すること。
 今、二つの例を挙げたが、チェルノブイリで起きた原発事故による事実は、今我々の地域で直面していることと同様である。
 こうした事実は、今、福島でも被災地自治体町村が存亡の危機に直面していることなど、共通の問題をかかえている。
 私の所は、福島第一原発所在地より25キロの計画的避難区域にあり、避難生活を現在も続けている一人である。今回よりも被災地避難住民の立場に立って町の再生と住民を一日でも早く元の生活に戻さなければならないことを念頭に活動をしている。
 今後は今回の事故により被災した地域の状況に応じたきめ細かな対策、住民の生活再建、健康管理など、多くの課題を解決しなければならない。
 原発事故による放射野鵜対策、住民対策、自治体の再生など難題が多く山積している。
 これらを克服し新たな展望を求め、状況に応じ様々な選択肢を用意し、適切に対応すべきと考えているところである。
 チェルノブイリ原発事故以来の経過とその実情の調査で得た数多くの教訓を今後に生かしていくことが重要であると考える。
平成23年12月

チェルノブイリ調査報告会 記録 報告者 浪江町議会議員 三瓶宝次
「チェルノブイリから学ぶ」
  2011.3.11  この日を絶対に忘れることはできない。東日本大震災が起こり、さらなる福島第一原子力発電所の事故を受け、我々は放射能の拡散による無用の被曝に遭い、先祖伝来の恵みの大地がみるみる広範囲に汚染された、ついに故郷を追われたのである。避難を余儀なくされた多くの住民は、全国各地に避難離散してしまい、失望の念にかられたのである。帰るべき故郷やその暮らしを失い、いま、命や健康さえ脅かされているのが、現状である。
 平成23年10月、福島の原発事故を受け、福島大学の清水先生を団長としたベラルーシ・ウクライナ福島調査団に参加。25~26年前に起きたチェルノブイリ原発事故が今どの様な状況にあるのか、当時の事故の発災状況から現在までを探るためで、今後の教訓として学びたいと思うのである。
 帰国後さっそく、住民の方々から、福島の原発事故と重ねて、話を聞きたい、教えて欲しい、我われはこれからどうしたらいいのか、不安と心痛の日々、怒りと戸惑い、家族が避難により離れ離れ、とにかく一刻も早く解決して欲しい、焦り悲痛な心情であり、訴えがひしひしと身に沁み眠れない日々がつづくのである。
 公務の合間を見て、資料作成、スライドの作成、清水先生のご協力のもと2012.2.11、福島市宮代にある宮代仮設住宅をはじめとして、浪江町の仮設住宅のほとんどを報告会として講演させていただくこととなる。2013.2.25、宮代仮設住宅での住民懇談会が、一巡となり、一年余かけて、各仮設自治体を含め30数か所の集会所の会場にて、報告会の活動を通し、住民のみなさんとの質疑応答の中、基調にも生の声を聴く事ができた。これをノートに記録していたものの一部まとめた。住民の皆さんの付託に応えるべく、議会活動に生かしたいと思い、今後も全身全霊、頑張る意思が改めて固まる次第である。報告会の参加者は800余名になり、お一人お一人の貴重なご意見、感謝申し上げ、また皆さんとの触れ合いも絆も深まり、私たちが復興を目指すチカラにしなければならない。ふるさとを再生する日まで、戦いは終わらない。
 負けない。奮い立たせよ! 故郷を思う魂!

「避難」で自治体消滅 強かった国の統制
結束が生む発信力 住民主体の再生へ

 「ベラルーシ政府の人は避難地区の自治体は消滅したと言っていた。国情が違うから単純に比較できないが、ショックだった」。浪江町議の三瓶宝次さん(75)がベラルーシの平原を進むバスの中でつぶやく、浪江町の中でも放射線量が高い津島地区の出身。町の未来を探りに調査に参加した。
 命令で強制的避難
 ベラルーシ国家放射線防護委員長ケーニヒスベルグ・エマヌイロビッチさんは調査団に対し、チェルノブイリ原発事故の住民避難について「事故が起きたのは旧ソ連の時代。自治体の長に決定権はなく、政府の決定は命令として伝えられ、ほぼ強制的にバスやトラックが用意され避難先に運ばれていった」と語った。
 避難の基準は当初、毎時25ミリレントゲン(約250マイクロシーベルト)を超える地点で行われ、おおむね原発から10キロ圏が対象だった。その後毎時5ミリレントゲン(約50ミリレントゲン)に引き下げられ、範囲は原発約30kmまで拡大。その後も原発から離れホットスポットで避難が続き、原則30km圏内は強制避難区域となっていた。旧ソ連が崩壊、ベラルーシが独立すると放射線対策の決定権は内閣に集約。原発事故の被害は健康問題や農業、産業など幅広い分野に及ぶため緊急事態省が各省庁を統括する。調査で訪れた各研究機関は一様に「全て国のプログラムに応じて進められる」と答えた。国の統制は依然強い。
 三瓶さんはウクライナに入り、チェルノブイリ原発から3キロしかない原発作業員の町プリピャチに立った。高層住宅が続く無人の町。老朽化した外観が25年の歳月を感じさせる。「住民がばらばらになればその思いは国に届かない。浪江町は自治体としてまとまり、国や県に考えを強く伝えるべき。他人任せでは地域主体の再生はない」。住民の結束が発信力をうむと三瓶さんはあらためて思う。
 住民の意見に相違
 復興ビジョンを策定中の浪江町は複雑な事情を抱える。沿岸部は津波被害はあったが放射線量は低く、住民からは「高台移転するなどして先行して住めるのではないか」という声もあがる。一方、山間部の津島地区は東京電力福島第一原発から放出された放射性物質が濃厚に沈着した。
 「住民の避難先をめぐって意見の相違が出て来ている。帰りたい人、補償が確定すれば他の土地で暮らしたい人など様々だ」と三瓶さんは指摘する。
 ただ、三瓶さんは両国の視察で事故収束の厳しさも知った。「除染しても他かい線量の地域の生活はどうなる。国には土地の買い上げなど対策が求められるのではないか」。住民の思いを届けながら国の力を引き出す放射能対策。三瓶さんは道筋の困難さをかみしめる。
福島民友2011年11月10日 福島原発・災害連鎖 3.11からチェルノブイリに学ぶ③

三瓶宝次町議による「チェルノブイリ視察報告会」
 2月11日(土)、宮代仮設住宅集会所にて、三瓶町議による「チェルノブイリから学ぶ」と題する視察報告会が催されました。午前10時より、集会所には仮設住宅にお住いの大勢の町民が集まり、三瓶町議のスライドを使っての報告に耳を傾けられました。
 25年を経過して、今なおその爪痕も生々しい現状を福島原発に重ねながらの報告。
「学校や幼稚園など人の集まるような場所は除染を行ったが、莫大な費用がかかる森林は行わなかったし、野鵜地の表土剥離も、腐葉土がなくなるので行わなかった」。
 また「詳細な汚染地区を作り、汚染状況をみて食べ物・食べ物意外の作物をつくるようにするとよい」といったアドバイスを受けてきたこと等が報告された。
 その後、町民との質疑応答では、補償基準や避難区域の見直し(3区分)について、除染の進め方、町や議会としての取り組み、仮設役場の移転等々活発な質疑、意見交換がなされた。
ミニコミ誌「浪江b級かわら版」第5号 平成24年2月発行
特定非営利活動法人(NPO)超学際的研究機構 福島市中町8番2号(福島県自治会館7階)024-525-8891 fax 024-523-4567

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