7月26日。
DASH村盛衰記 三瓶宝次と津島地区の最初の二週間
元浪江議長から自叙伝を依頼され、ほんじつ第一回の打合せをしてきた。
このあたりから描いてゆくことにする。
DASH村の放送開始のときに、ぼくは地元雑誌の政経東北に記事を書いた。ここから物語が始まった。日テレが契約した村の地主から、番組の企画の裏側から、311の経過をたどってゆくことにしよう。まずはBEFOR編として雑誌を転載。
「ただごとでない」 原発周辺住民、情報足りず募る不安2011年3月15日15時6分
遠くへ避難する必要があるのか。地元福島県の自治体や住民は緊迫している。市町村は「国や県からは何の情報も来ない」と焦りを深める。
15日午前8時ごろ、福島第一原発2号機の圧力抑制室が破損した情報が伝えられ、県庁の隣にある県自治会館の災害対策本部は一気にざわついた。
幹部が詰める会議室には秘書や担当者が激しく出入り。幹部らの顔は引きつり、緊張で張りつめていた。佐藤雄平知事は会議後に「事態の収束を国・事業者に求める」とメッセージを投げかけた。県民に対しては「落ち着いて正確な情報をもとに行動してください」と求めた。
同原発がある双葉町の北隣、浪江町はほぼ全域が「屋内退避」対象の半径30キロメートル圏に入る。町議の三瓶宝次(ほうじ)さん(74)は情報を受け、15日早朝から津島地区の避難所のうち3カ所を巡回した。住民から「いったいどうなっているんだ」「移動したいが、ガソリンがなくてどうしようもない」と訴えられたという。
地区には計約5千人が避難。路上に止めた車で寝起きする人も多い。「避難所生活の疲労と原発への恐怖で、住民の心労はもう限界に達している」と三瓶さんは感じる。「あやふやな情報で不安をあおることはできないが、この事態はただごとではない。情報を注視するしかない」
市域の一部が20~30キロ圏内にあるいわき市は、14日夜から、30キロ圏内の久之浜地区を対象に自主避難を呼びかけ出した。15日朝には国からの屋内退避指示より早く、広報車を出して住民に屋外に出ないよう呼びかけ始めた。建物の窓や扉をしっかり閉め、長袖を着て肌を露出せず、水にぬれたハンカチで口をおおうなどの対策を知らせている。市内各地から「避難しなくていいのか」と問い合わせが相次いだ。
避難所があるいわき市の平第二中学の男性教員は「避難所の方々も遠くへ行きたいと思っていると思う。しかし、ガソリンもないので行くこともできない」という。「風向きがこちらだと言っても、自分には避難所の水槽の管理や安否の問い合わせに応じる責務がある。ここを離れるわけにはいかない。今日は自宅に帰ることもできないだろう」
同原発から北へ約30キロの南相馬市は、防災無線で屋内退避を呼びかけた。市の一部が半径20~30キロ圏に入る田村市では、防災無線で対象地域に屋内退避を呼びかけ始めた。
半径20キロ圏の住民約1600人を受け入れている内陸部の三春町は、2号機のニュースを聞き、早朝から対策会議に入った。「これまでは避難の方を受け入れてきたが、これからは町民の避難も考えなくてはならない」
双葉町から、内陸の川俣町の小学校に娘と2人で避難している水野文雄さん(65)も、避難所のテレビで状況を知った。「原発は怖い」というイメージがあったが、東電の社員の管理に信頼を置いていた。その東電が一部社員を退避させた。「もう人の力ではどうにもできない状態になっているのか」
福島県境の茨城県北茨城市の避難所には、すでにいわき市からの避難者が訪れている。「困っている避難者の方々は受け入れていきたい」と担当者は話した。
一か月後
311から一か月後に城島とTOKIOメンバーが福島市に避難していた三瓶夫妻らを訪問した。
その最初の数週を克明に記録すべき必要を感じている。
三瓶じしんの視点から、また関係者からの視点から複合的に立体的に、あのパニックの中での事実を時系列で整理する作業を、始めることにする。
http://www.ntv.co.jp/dash/tetsuwan_new/past/2011/0424/01/02.html
夏のある日、地元の方々が続々と村へと集まって来た。
地元の方々への感謝の思いからTOKIOのメンバーが発案した、小さな夏祭り。
喜んでもらえる、せめてものことをと思い、メンバーがふるまったのは流しそうめん。
地元の方々との楽しい時間。
DASH村は、番組だけの村ではなく、みんなの村として11年間を過ごしてきた。
2011年3月11日、午後2時46分。
東日本を襲った大地震。
村は無事だったが、DASH村のある浪江町は大きな被害に遭い、TOKIOもスタッフも見慣れた風景が大きく変わってしまった。
津波の被害、そして、原子力発電所の事故…。
1か月経った、4月11日、DASH村のある地域は、計画的避難地域に指定され、浪江町など、該当する住人の方々は、ふるさとや家から離れざるを得ない状況に。
村のヤギ・羊達は、群馬県の伊香保グリーン牧場のご厚意で、のんびりと春を迎え、北登はスタッフの家に。
そして、浪江町を離れなければならなかった方々はそれぞれ避難生活を強いられている。
城島とDASH村スタッフは、福島市に訪れた。
内陸のこの土地には、避難してきた方々も多い。
城島は、浪江町から避難してきた孝子さん夫婦と対面。
地震の日以来、会っていなかった孝子さんに、これまでの1か月半の生活について伺った。
浪江町にとどまろうとしていたが、原発事故の影響で家を離れなければならず、福島市に住んでいた娘さんのお宅にやって来たのだという。
孝子さんのご主人で、DASH村の相談役の三瓶宝次さんは、浪江町の議員として仮設の役場で受け入れ先探しなどに休みなしで当たっているという。
城島が持参したのは、愛知県でのロケで田中さんから頂いた守口大根で作った漬け物。
孝子さんや宝次さんにも美味しいと喜んでいただけた。
津島地区の被曝を完全賠償する会が結成され自民の三瓶は共産議員と二人で代表となった。住民とよりそってきた町会議員として。