トヨさん、時の人
警察の車で、市民文化会館ゆめはっとに向った。ホールにはいっぱいの人がいた。音の感じからすると何百人といた。みんな寝られなくて立て膝で過ごしていた。同行した警官が一度外に出て電話しているなと思ったら、「あんたは別のところに連れて行くから」と耳打ちされた。
すぐに社会福祉協議会へ連れて行かれた。床暖房が効いところで、温かい雑炊が用意されていた。社協へは、自分の110番通報から警察と市役所が調整して居れることになった。警官には命の恩人と感謝した。社協に避難したところで自分のことがテレビとラジオで大きく報道された。「トヨさん、時の人だよ」「7時のニュースで今やっているよ」と言われた。5日ぶりに救助された老人として伝えられ、東京の息子たちも自分の無事を知った。
しかし、社協は20Km圏内にあった」ため、「別の体育館にバスで行くように、社協のの事務長が「目の不自由な人を体育館にはやれない」と言ってくれた。埼玉の息子のところに送り届けてくれることになった。社協職員を1人つけて、自動車で送ってもらった。社協の看板をつけた車だったので、ガソリンスタンドで満タンにしてもらえ、通行規制の通行規制のかかった緊急輸送道路を通ることができた。
招かれざる客
3月18日の夜の8時に埼玉の息子の家に着いた。着いた時息子からは「乞食の一歩手前の格好」と言われた。避難前、一度よそ行きの服に着替えたものの避難先で自分だけが着飾っていてはおかしいと思い、よれよれの服に着替え直していた。長靴をはいて、1週間もの間顔も洗えない、着替えも入浴もできなかったので、ばい菌扱いされた。
息子宅では折り合いが悪く、招かれざる客だった。2カ月間の滞在の後、できたばかりのショートステイを40日間ほど利用した。さいたま、熊谷、川越あたりで避難先施設を探したが、どこも入れなかった。
刑務所の方がマシ
福島市にある視覚障害者の施設が見つかった。病院が経営する50人定員の養護老人ホームだった。施設には7月26日から翌年6月4日まで10カ月余の間過ごした。視覚障害者とはいえ、入所歴の長い認知症の老人が多かった。
「ひどかった」「居心地よくなかった」何でもかんでも世話を焼かれ、意にそぐわなかった。相談員に一人まともな人がいたので、自分の意向を伝え、自分は掃除も洗濯も一切一人でやった。入浴の時、浴槽までの手引きだけを頼んだが、あとは一切自分でやった。自分で主張しないと、頭のてっぺんからつま先まで洗ってくれるところだった。1円の金も自由にならない。保険証も年金も実印も持ち物はすべて取り上げられ、管理された。「なんだここは!?」と疑問だった。
後から分かったが、「措置入所で入ったら一生過ごすところ」と聞かされた。一生いるつもりはなかった。「施設を出たい」と主張しても出してもらえなかった。一度入ったら簡単に出られないという説明だった。だから死にもの狂いでたたかった。
6畳一間の相部屋(2人1部屋)で、すぐ手の届くところに便器があった。すぐ脇でお茶を飲んでいるようなところで、「刑務所でもこんなにひどいところはない」と訴えた。同室者が排便で失敗した下着を便器で洗っていた。それは何とか見逃せたが、部屋の中を拭く雑巾を便器で洗っていた。これには辛抱ならなかった。育った環境が違うのだから、その人のせいではない。「合わせられない自分が悪いのだから、自分をよその部屋に替えてほしい」と訴え、自分の部屋を変えてもらった。
ここにいる人ではない
盲擁護老人ホームには月38万円もの厚生年金がもらえる男性利用者がいた。「金があるのに、なんでこんなところいるんだ!?」とその人に問い詰めた。その人は「息子や娘にとられるから」「ズボン下も買えないんだ」と話した。「いいところに入れるから」と説得されて入ったらしい。「施設を出たいなら市役所に頼んだらいい」と進言した。プライドのある人だったので、「こういうときは頭を挙げて頼むんだよ」と教えた。「そんなに金があるなら、6畳1間でも借りて1日いくらで人を頼んで世話してもらったらよいのに」と勧めた。その人は年金の5~6割は利用料にもっていかれるが、残りは貯金していて何千万円とあるらしい。その資産は施設の経営者が管理している。
年金を20万円くらいもらっている人が大勢いた。12万円の利用料払って、残りの8万円は施設が預かって、全体で何千万円という金額になっちる。そういう人は自分では出られない。手を引っ張ってくれる人がいないと一生出られない。そうしないと牢獄だ。職員の中には冷静な人もいて「小山田さんはここにいつ人ではないと思っていた」と、そっと耳打ちしてくれた。親身になってくれる職員は、周りに合わせるしかなく小さくなっていた。
いわき市出身の緑内障の同室者に身内が会いに来た時に、面会者にこっそり相談した。いわき方面で出る先を探してくれるように、しかも秘密裏に進めてほしいことを頼んだ。電話をかける時は職員にそばで立ち聞きされるので、うかつなことは喋れない。
まるで姥捨て山のように、見捨てられた人が入所していた。利用者は兼ねづるなので、経営者は死ぬまで放さない。利用者に共通するのは、経済観念がないこと・金がないのに使わされること・自分のことしか考えない・みんな共通していた。「なるほどなあ」とつくづく思った。社会勉強させてもらった。自分は一人ひとりの生き方をみて、こういうところを見習いたい、こういう風に歯鳴りたくないと研究した。
施設では10kgもやせた。顔を合わせるとみな食べ物の話をした。粗末な食事で、腹が減ってしようがなかった。男性利用客が、「今日は鳥のエサだ」「今日は犬のエサだ」「猫のエサだ」と食事の度に話していた。夜9時に就寝だったが、腹が減って寝られなかった。せんべいを買っておいて、水を飲んでしのいだ。正月なのに餅も食べられなかった。
2012年6月4日、ようやく出られることになった。出たいといってもなかなか出してもらえず大騒ぎになった。「外泊体験ならよい」と言われたので、「体験してきます」と6月4日に出て、そのまま退所した。でも施設の都合で6月24日まで籍を抜いてもらえなかった。
創立以来20年間で「生きたまま退所した最初のケース」と言われた。死んだら出してくれる。死ぬまで出してくれないところだった。