県なら何とかしてくれる、と思った
被災後3日にして、これで3回目の移動だった。サンライトおおくまが食堂用の部屋に移った後も、工場には続々とした避難した人たちが訪れ、1000人以上がコンクリートの上で避難生活を送るようになった。介護用品は底をつき始め、ゆっくり体を休めることもできず、十分な水も十分な栄養を採れる食料もない。利用者の中には体調を崩す人が増え、中には容態が急変し、入院する人もいた。不眠不休で働く職員のため休み時間を設けても、家に帰れるわけでもなく同じ空間で過ごすため、結局は、ほかの職員の苦労を気遣って手を動かしてしまう。そんな生活で疲労困憊し、熱を出した職員もいた。
「避難3日目でこの状況なのだ。避難が続けば利用者も職員もまいってしまう」
これ以上過酷な避難生活を続けると、利用者の身にもう何が起こっても不思議じゃない。
焦った池田は携帯電話を取り出し、福島県の高齢者福祉施設を統括する県高齢者福祉課に支援を求めた。県ならばどうにかしてくれると思ったのだ。工場で避難している状況を説明し、何とかしてくれないか、と頼み込んだ。県職員が口を開いた。
「大変なのかサンライトおおくまだけではないんです。これから各施設の状況を把握して対応を考えますので」
県職員の言葉に唖然とし、言葉が出なかった。今の今が大変で、命を落とすかもしれないというときに、支援はすべての高齢者の状況を把握してから考えるのだとかいう。反応がノブすぎる。頭に血が上るのを感じた。反射的に、もう県には頼まない、自力でこの状況をどうにかするしかないのだと思った。
「いいです。それでは単独で探すので、それは了承してくださいね」
そう池田は言い捨て、怒りに震える手で電話を切った。そこから相談員と手分けして、福島県社協や県内の特別養護老人ホームに連絡をとり始めた。
避難弱者 p141