施設長・小林欣吉
「とにかく介護する側も、不眠不休で体力的にも限界なんですが、それ以上に利用者は過酷な状況なんです。私たちではもう、どうすることもできないんです」
受話器の向こう側からすすり泣く音が聞こえる。電話は大熊町のサンライトおおくまの生活相談員の女性からだった。原発から避難して、利用者110人と福島県中通りにある田村市の工場にいるのだという。相談員の女性に現在の状況と必要な救援物資について聞いた後、電話を切った小林欣吉(当時69歳)は、ただ事でない状況に愕然とした。涙ながらに訴える女性相談員の叫びにも似た声が頭の中で何度も呼応する。どうにかしなければならないと思った。
小林が施設長を務める特別養護老人ホーム「会津みどりホーム」は、福島県西部の会津若松市内にある。雄大な磐梯山を臨み、市内は真っ白な壁に赤瓦の鶴ヶ城があり、城下町の七日町通りは1年を通してカメラを首にぶら下げた観光客が観光マップを手にしながら歩いている。
(略)
会津みどりホームでは、震災の影響で物資が不足することに備えて、14日には対策本部を立ち上げ、救援物資を集めていたため、サンライトおおくまに送ることのできる物資は手元にあった。あとは、職員にも被災した施設を支援することに対し、気分と同じ気持ちでともに決起してもらわなくてはと思った。
16日朝、震災以降毎日行っていた浅野会議で、早速小林はサンライトおおくまの状況を説明し、救援物資を送ることを告げた。しかし、状況がわからない職員たちは、いまひとつピンとこないようだった。福島の太平洋岸で起きた水素爆発はなんとなテレビの向こう側の出来事で、身に差し迫るという感覚で事故をとらえてはいないようだ。サンライトおおくまからの電話を受ける前の自分のように、避難している施設が大変だといっても具体的な映像は頭に浮かんでこないのだろう。しかし、実際に状況を見たらきっと心が変わるはずだと思った。
「とりあえず、サンライトおおくまが避難している工場に職員を派遣したい。生きたい人は手を挙げてくんろ」
小林がそういうと、3人の男性職員が手を挙げた。事務長の遠藤修一(当時49歳)もその1人だった。
避難弱者 p144
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